対比



先日、櫻坂46の10枚目シングル
『I want tomorrow to come』のミュージックビデオが公開されました。





Twitterで済ませてもよかったのですが、
せっかくなのでnoteに
少しばかり雑感をまとめておこうと思います。




個人的に気になっているのが、
センター・山下瞳月さんにとっての他のメンバーの立ち位置。


前作『自業自得』においては、
瞳月さんの中の感情を表すのが他のメンバーの役割であったと
いくつかインタビューを読んだ限り解釈しています。

『自業自得』を見た時、私の印象として
瞳月 vs 他のメンバー
という構図はなんとなく感じていたところでしたが、
「他のメンバーの動きが瞳月さんの一存に依る」ことが
「そもそも瞳月さんの中に内包されている存在だから」
であることを知り、そっちか~!となったのを覚えています。

同じような構図に見える『流れ弾』では
「他のメンバーは保乃さんとは異なる存在」だったので、
「自業自得には”操る”要素はないんだな」と興味深かったんですよね。


話は戻りますが、
今作でも同一の構図が存在しているように見えていて。

ただ、まだ私の中で今作では
「他のメンバーは”誰”としてふるまっているのか」が
定まりきっていない感覚があります。
まあMVだけ見てもわからないといえばそれはそうなのですが。


最初のバラードパート内に、
連なったメンバーの先頭で麗奈さんが瞳月さんに抱きつく
というシーンがあります。

これが果たして、
温もりなのか、しがらみなのか。


歌詞を鑑みると、
灯りという温もりをもって初めて眠りにつける
というような表現からして、
眠りにつくための温もりを与えているように見えます。

しかし実際、
麗奈さんは瞳月さんの目を塞いでいる。
暗闇へいざなっているわけです。
そして瞳月さんはこれを解いて歩き始める。

となると、
この描写におけるメンバーは「しがらみ」なのではないか。
歌詞の中の言葉を借りるとすれば
「魔物」で、「怪物」なのではないか。

こう考えると、
今作においても瞳月さん以外のメンバーは
「瞳月さんの中にある存在」である可能性が見えてきます。

メンバーは瞳月さんの感情、
孤独への不安、”明日が来ない”かもしれない恐怖といった、
頭の中で巣くっている負の感情を体現しているのかもな、
なんて現段階では思っています。

ちゃんとパフォーマンスを見たら
また印象が変わりそうでわくわく。



あくまで個人的な見え方にしか過ぎないですが、
対比構造があるか、そしてその対比が”内”なのか”外”なのか
を考えるのって結構面白いなと思いました。(日記)

これからインタビューとかで
徐々に明らかになっていくのも楽しみですね。

では。






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