学年ビリの陰キャがビリギャルを真に受けて早稲田に落ちた話
ビリギャルが流行るちょっと前のこと。
東京郊外の名もない中堅高校でのお話です。
私の高校生活は学業とは無縁でした。
授業中は寝てばかり、宿題も出さなければテスト勉強もせず、成績はビリ争い。うちのクラスでは成績が悪い順から前の席になっており、教卓前は「神8」と呼ばれていました。そんな神8のエースがこの私だったのです。
当時は声優を目指していたので、そのためのレッスンとレッスン代を最低賃金で稼ぐ日々。充実こそしていたけれど、見えない将来に向かって闇雲に突き進んでいました。
私の高校は専門学校に行く人が1/4、MARCHが学年で数人、早慶は一人いたらいい方といった中堅高校。いわゆる自称進学校(笑)でした。
学年でビリ争いをしている私は神8のセンターだといじられ、専門学校行くんでしょ?と印象だけで決めつけられていました。
勉強は1ミリもしていなかったのでそう思われても当然であります。
母親の影響により、大学はいくものだと考えていましたが、行動は伴ってなかったでしょう。高校3年生になったらちょっと頑張って日東駒専あたりを目指すんだろうなぁと、ぼんやり考えていた高校2年の秋。
本屋で平積みになっていたある一冊の本が、私の人生を変えました。
ビリギャルとの出会い
書店で「学年ビリのギャルが一年で偏差値40上げて慶応大学に現役合格した話」通称ビリギャルが平積みになっていました。
挑発的な視線を向ける金髪美女と刺激的なタイトルは一瞬にして、私の目を釘付けにしていたのでした。次に意識をとりもどした時には、本を読み終わっていました。
なんということでしょう。
迷惑なことに、本屋で一冊の本を読み終えてしまったのです。(購入しました)
そしてふつふつと、早稲田目指してみたいなぁ…という気持ちが湧き上がったのです。
早稲田は日本で一番演劇が盛んな大学で、声優を目指していた私にとってはあこがれの大学でした。しかし、現状ではMARCHも厳しくて、日本大学あたりを目指そうと思っていた私。
そして、陰キャの私はギャルやヤンキーに嫌悪感を抱いていました。もちろん中学時代にギャルやヤンキーにいじめられていたのは言うまでもありません。
そいつらは中卒とかで低賃金の仕事について、すぐにデキ婚して離婚すればいいと思ってたました。
ギャルでも慶應に入れるなんて…。
…。
そうだ
早稲田に行こう。
京都行くみたいなノリで学年ビリの陰キャが早稲田を目指し始めたのでした。
京都行くにしては少し歪んでたかもですがね。
ビリギャルの影響で早稲田を目指し始めてから
周りの友達にはとてもじゃないけど、早稲田目指してるなんて言えません。ひたすら内緒で目標に向かって走るのみでした。
なんと言っても神8のセンターですからね()
私がビリギャルと出会ってから半年後、ビリギャルが映画化して一気に世間の話題を集めました。
周りの友達には言っていませんでしたが、模試には志望校を書くので、早稲田を目指してることは先生達はみんな知っていました。
職員室では〇〇高校のビリギャルと話題になっていたようです。
とくに関わりがないけれど元気な先生たちがお前どこ目指してるの?と聞いてきました。他の人は取り立てて聞かれていなかったようなので、志望校を知ってて聞いたことでしょう。
その度に「早稲田です」とドヤ顔で答えていました。早稲田志望ってだけで浮かれてたのは恥ずかしいけど事実です。まだ受かってないのに。
勉強を全くしていない高校生が必死でやって、3科目の合計偏差値は30から60まで上がりました。まあ浪人もしたんですけどね。
英語が最後まで伸び悩み、英語が敗因で早稲田には行けませんでした。
しかし、私にとって必死で受験勉強をしたのはいい経験になりました。御縁があった明治大学でも沢山のいい出会いがあったので、非常に満足しています。
あの日、あのとき、書店に立ち寄っていなかったら、ビリギャルが平積みになっていなかったら、私の人生は大きく違ったことでしょう。
死んだ魚の眼をしながら、名もない大学に進学していたことでしょう。名も無い大学が決して悪いわけではないけれど、成功体験には価値があると思います。
私に必死で何かに取り組んだ経験と、そこそこの学をくれたビリギャルと坪田先生には感謝してもしきれません。
時にはそんな軽い動機で何かを決意するのも重要なのではないでしょうか。
それと「本気で早稲田目指せばMARCH受かる」はガチ。マジで。