払拭と刷新、そこに込める誠心
太古の昔、2017年の3月。散々な受験結果も躁状態でどうでも良かったおれは、部活の同期とOBの先輩で卒業旅行に湯沢へスノボをしに行く約束をした。その時私は、ボードをアニメのキャラで装飾する、痛車ならぬ"痛板(いたいた)"を作った。
高校3年の当時、"けものフレンズ"にご執心で、狂いに狂った。この神アニメの痛板を作りたかった。それでゲレンデを滑りたいって単純な動機もあるし、(えっ、けもフレの痛板?!早っ…!)みたいなオタクの多動力の誇示をしたかったのもあると思う。でもやっぱり、一番の理由は、"自分の好きなアニメだから" だったんだと思う。
選んだのはサーバル。けものフレンズの看板キャラ、彼女の頑張りは物語を大きく支え、1期は大団円を迎えた。彼女の勇気ある行動の数々がなければ、目の下にデカい隈のついた凄惨たる受験生活は乗り越えられなかった。転じて、これ無しに今の私は無いだろう。
だから私は自身の乗る板に、彼女を載せた。このコンテンツが好きだったからだ。1期までは。2期決定の発表のあと、監督とプロジェクトの元締めが揉め始め、降板事件があり、作風の変わった2期が放送された。私は、けものフレンズから離れた。
彼女の言葉がある。まだ良かった頃のアルバムの楽曲"けものパレード"の「ずっとずっとついていくよ、かばんちゃん!」というもの。歌詞ではない、台詞でもない。これはコンテンツの中に生きた彼女の声だった。おれに言ったんじゃない、かばんに言ったんだよ。あの約束で、サーバルと一緒に居るべきなのは、おれじゃなくてかばん。だからおれは、紆余曲折あったけど、もうこの自分で受注して綺麗に貼ったプリントを、自分の手で剥がして新しくしたいんだよ。早起き。
そして今、色々あって湯沢に来て、またゲレンデを滑る機会が訪れた。それは、実家の階段下の倉庫の、埃を被ったボードと向き合う機会。埃を被った過去の自分と向き合う機会。やらなければならないのは、"サーバルをボードから降ろす" ということ。
刷新という試みの裏には、過去の払拭という要素が存在する。ただ、人の心の弱さはいつも後ろ向きの矢印を抱えていて、何か置き忘れた物に気を取られたり、何かが足に絡みついたりする感覚に邪魔をされる。私の場合それで、機会が訪れる今まで、サーバルを引っ剥がせずに見えない所にしまい込んでいた。
このしょうもない自分の欠点をなんとかしたいと思うけれど、その後ろ向きの矢印を対処するには、自分の心の何処の箇所をどう手入れをして、事実を自己に言い聞かせてどう折り合いを付けたら良いのかが、私には分からない。だから、文章化して少しでもその折り合いに繋がるとっかかりを、書き出しを通して見つけたくて、この文を書いている。
折り合いをつけられれば、サーバルに対しての失敗という過去を教訓に、今とこれからの行動に誠意を付加することができるかな。古いものを剥がせば、次がある。次に改まる。改め、新ため。子曰く、古きを温ね新しきを知れば、以て師と為る可し。2000年も残る言葉に嘘はないはずで、まぁ子供達の先生やってる手前もあるし、過去をしっかり踏襲して未来の風に生かすことは正解なのでやるに越したことはない。というかやっておきたい。
私はあの日、サーバルのプリントをボードに貼る時、「この先どんな事があっても剥がさない」と思える愛を持っていなかったんだと思う。勿論、彼女に対する想いはあった。何度も支えてくれた。サーバルはかばんを支えるだけでなく、その行為を見せることで私の心をも支えてくれたのだ。だけど私は支えてくれた彼女を愛するには至らなかった。
結局、貰ってばかりの依存だったのだ。家庭内不和だっただの、受験期で自分に余裕が無かっただの、蓋を開けたら重度うつ病だっただの、言い訳なんていくらでも出来る。しかしただ不変なのは、あれだけ私を救ってくれた彼女に「何かしてあげたい」と思えなかったという事。利他行為などの行動自体じゃなく、その一段階前の感情。
たぶんサーバルへの好きはかなり盲目的で、彼女への尊敬、リスペクトがまだ足りなかったんだ。彼女の視点でジャパリパークの皆を見て、かばんを見て、という彼女の視点が足りなかった気がする。そうだ、あの時はまだアニメ放送中で、ロッジ回だった。アニメを最後まで見てから貼ってないんだ!そうだよ、衝動的に決めたんだもの!オタクとして低俗であるトロフィー的な功を焦り、その軽率な考えの下で彼女を選んだ結末が今なんだ………!
スマホのフリック入力でも打つのを憚られる、"サーバルを愛せなかった"という不甲斐なさを、私は焼印として私の心に残したい…!
そうか、恥ずかしいんだ!自分でわかっているから、本気で愛せなかった自分を見たくなくて、だからボードを見れなかったのか!ここに来てようやく贖罪の念が湧いて、自分に焼き鏝を押し付けようとしているんだ………!
斯くして必要だったのは、"自ずから敬える愛"と、"広く見る冷静な観察眼"だ、おれに足りなかったのは。
自ずから、というのが大切だと思う。他者への施しを増やせばいいという安易な理屈ではない。この考え自体が既に成果主義の枠組みになってる。"他者への利他や施しをすれば、何かに対して対価を差し出せた"とするこの構図は、成果主義に傾倒して手段が目標化し、機心を生む。初心を忘れ、教訓を物にできたと満足する怠惰の種を蒔きかねない。
これはいつも自分を客観視して驕らずに気を付けなけりゃいかんね。大切なのは、利他そのものでなく、利他を生まんとする、愛する心のほうが要であると見た。
自分の心に余裕を持たないと、人の幸せなど考えられない。そりゃそうさ、受験期の私にそんなどっしり構えて人の幸せを思う余裕なんて無かった。当たり前だ。
自発的に人を愛し敬えるというのは、自分の心配や課題を大目に見ることで初めて生まれる心の余裕余力が必要だろう。でないと、人の為の愛や敬いが、余裕のない自分の心をわざわざ割いて勤しむ「仕事」になってしまう。だからまずは、自分の切羽詰まった悩み事を、後腐れがないように真心で解決するのが大事なんだろうな。
2つ目の、広く冷静に見るのもそうだ。余裕がなけりゃ、明鏡止水なんて作れたもんじゃない。漣立った心で物事の真意を見れる筈がないから、落ち着いて人道に沿った無理のない考え方をするに限る。自分でも他人でも、無理をするとどこかで必ず皺寄せが来るから、結局は多少面倒でも真っ当な筋を通したほうが得なんだろうな。
………で、ここまで話長くなって申し訳ないんだが、まだあります(驚愕)。こっからまた拗らせオタクの自分語りが行われる。もうここまで読んだら最後まで付き合え。
時が経って、アークナイツという作品に出会った。そのゲームの中で一際輝く、エレーナという女性を、愚かにも私は愛してしまった。
厨房の頃に、東方Projectの霊烏路空(れいうじ うつほ)や、艦これの文月というキャラを嫁と呼ぶ、狂気の結婚経験があった。若すぎた…ほとんど深く考えてない、衝動によるバツ2。今で言う"推し"のような感覚で、好きなキャラを昔は嫁と呼んだんだぞ、たかし。
しかしながら彼女、エレーナに対する思いは今までの軽はずみな狂気の結婚などとは一線を画すものがある。なんだか、とても入れ込み方が拗らせていて、自分でも引く感情が傍らにある。読めばあなたも引く。でもそれくらい、私の目には彼女が素敵に見えている。そんな事実がある。
彼女は綺麗だった。自らの信念に正直で、家族を想い、敵ですら敬い、自己犠牲を物ともしない。彼女は仲間から、フロストノヴァと呼ばれた。
会ってみたかった。挨拶をして、彼女に尊敬していると伝えたかった。回数を重ねて、共に食事でもしてみたかった。彼女が飴をくれるのを受け取って、食べた私の反応に笑って欲しかったし、焚火を眺めながら彼女の理想や信念を聴きたかった。私は、彼女の事が堪らなく好きだ。画面越しのデータに恋をした。そしてストーリー第六章、彼女の死をもって絶望した。
病気の差別と迫害によって、彼女の仲間は尽く殺された。彼女特有の体温を奪う病気も重篤で、力を使い果たした彼女は友に看取られ、息を引き取った。
どうしようもない。ゲームの内側の世界に干渉する程の超能力を、画中人のような芸当を私はできない。それでも、彼女に温もりを与えたかった。凍傷覚悟でハグをしてあげたかった。出来ない不甲斐なさ遣る瀬無さに、泣く夜を経験したかった。そこまで思う程、馬鹿かと思う程、何かをしてあげたかったんです。
ならせめて、死した彼女の為に何かできないものか。神曲RAINBOW GIRLのような自惚れた傲慢さでなくとも、彼女の生き様に心を打たれたおれの体で頭で手で口で足で、何かできないかと。
そこで頭をよぎる。ボード。
凛としたモノトーンの容姿にオレンジの挿色のデザイン、儚い雪兎の歌姫という属性など、痛板にするに相応しい程のキャラ設定。彼女を載せたいと思ってしまう。彼女のボードは映える。絶対映える。とても綺麗にできると思う。彼女と、雪の上を楽しく駆け抜けてみたい。その想いを抱えてでも、私が彼女の載る板を作りたくないのは、作れないのは、彼女がこの世を去った過去の人であるから。
たかがゲーム。たかがキャラ。尊厳どうのこうのの問題は、元より存在しない。だが私は、同胞も敵をも敬い自分の理想を預けて散った、あの高潔な戦士を、あの愛した白兎の整った顔を、どこかに見ることが烏滸がましい。所有なんて以ての外だ。たかが現実に存在しない、人の作った架空の人格であったとしても、生き返らせることが、いや、生きた彼女を感じようとする小さな未練の混じる行為であるならば、私には出来ないのだ。
彼女のために何ができるか。まずは私自身、彼女に対して"愛する"ができているか。先のサーバルでの教訓を活かすときじゃないか。「自発的な尊敬と愛」と、「冷静にかつ視野を広く保つ」の2つ。まずはそこからでしょ。邪な念が挟まれていたのなら、結果にガタがきてどだいから崩れる。それのないように、どうせなら真正面から彼女を想いたい。
エレーナを愛せているつもりではある。死んでしまった境遇を思えば、今でも胸を抉られているように苦しくなるし、何かをしてあげたかった利他の心の矛先の遣り場に苛まれる程度なので、うぅ、書き出すことの負荷が強い…
もぅ無理、なんか考えてると辛くなってくる…みんなどうやって人の死を乗り越えるの?
そりゃわかってるよ、依存しているのは何かを他者に欲してる証拠だって。私が欲してるのは、もう一度生きた彼女に、笑ってほしいんだよ。
でもどこまで行っても、笑顔のエレーナを見たとしても、それは公式が殺したという事実がある時点でその笑顔は作り物なんだよ。ありえない。生きていた時の彼女を板に貼っ付けて、あたかも彼女といまゲレンデで楽しんでるよ!素敵!なんて自分の認知に嘘をついて虚の快楽を臨もうなんて考えられない…
彼女のことはやっぱり考え続けるけど、死んだ相手にしてあげられる事なんてない。今生きている人達にならわかるけど、いい加減私は彼女から教わった事を生かして、彼女自身を死なせてあげるのが良いのかも知れない。
ボードに彼女は乗せない。これは何があろうと決定事項。尻切れトンボだけど今回はここまで。
サーバルに代わる誰かを決めなきゃな…
矢高でした。