#620 せんべいを買いにきた男
コウジはスマホの地図を見ながら路地裏を進んだ。
「お、ここか。」
コウジは路地裏の一角にある古びたせんべい屋の前に立ってつぶやいた。
日で焼けた暖簾をくぐると、狭めの店内に客は一人もおらず、テレビの音だけが流れていた。ガラスケースの中には美味しそうなせんべいが陳列されていた。
「すみませーん。」
店の奥のイスに座ってテレビを見ていた店主と思わしき老人に声をかけた。
コウジの声を聞いた老人は、テレビに向けていた顔をゆっくりとコウジの方に向けた。
「あの、すみません。お土産用のおせんべいを買いに来たんですけど。」
コウジはガラスケースの中にある塩せんべいを指差しながら言った。
「この塩せんべいの15枚入りを一つお願いします。」
「・・・・塩せんべい?」
「はい。お願いします。」
店主はゆっくりと立ち上がると、ガラスケースの前にやって来た。そしてせんべいの箱を入れるようの紙袋を一枚取った。店主は折り畳まれていた紙袋を、ゆっくりとした動作で開こうとした。しかし、紙袋はなかなか開かない。
すると、店主は紙袋を開くのをやめてイスに戻りテレビを見始めてしまった。
「・・・・あれ?す、すみません。」
コウジが店主に声をかけると、テレビに向けていた顔をゆっくりとコウジの方に向けた。
「あれ?塩せんべい15枚入りを一箱お願いしたいんですけど。」
「・・・塩せんべい?」
「あれ?さっき言いましたよね?お願いしてもいいですか?」
店主はゆっくりと立ち上がった。そして再び紙袋を手に取ると、それを開こうとした。
「あの、ごめんなさい。なるべく急いでもらっていいですかね?この後予定があって。」
コウジは紙袋を開こうとする店主に向けて言った。
「この後彼女の実家に挨拶しに行くんですけど。ご両親がここの塩せんべいが好きって聞いたので、どうしても買って行きたいんですね。でも電車の時間が迫ってるので急いでもらえると助かるんですけど。」
しかし、紙袋を開けられない店主は、紙袋を置いてイスに戻ってしまった。
「なんで諦めちゃうんですか!ちょっと!ねえ!すみません!」
店主はテレビに向けていた顔を、ゆっくりとコウジの方に向けた。
「早くしてもらえませんかね!塩せんべい!」
「・・・塩せんべい?」
「なんで毎回初めての感じなんですか?もう早くしてください!マジで電車の時間間に合わなくなっちゃうんで!」
店主はゆっくりと立ち上がり、紙袋を手にした。
「もう紙袋いらないです!箱だけもらえればいいんで!」
しかし、店主はコウジの声に耳を貸さずに紙袋をこねくり回した。
「ちょっともう貸してください!俺がやるから!紙袋!」
しかし紙袋を開くことができない店主は、紙袋を置いてイスに戻りテレビを見始めてしまった。
「ふざけんなよ!マジで!ちょっと他の人いないんですか!?ねえ!」
コウジが声を荒げると、店主はテレビに向けていた顔をゆっくりとコウジの方へ向けた。
「これ他の人どうやって買ってるの!?塩せんべい買うの難しすぎない?」
「・・・・塩せんべい?」
「うるせえな!マジで急げよ!買っていくって約束しちゃってるから!マジで大事なの!初めて彼女のご両親に会うから!ちょっともう本当に時間ないから!早くしてもらっていいですか!」
コウジがまくし立てると、店主は涙目になり怯えた様子で縮こまってしまった。
「怖がらせるつもりはなかったです、すみません!その感じやめて?老人いじめてるみたいだから!」
コウジは咄嗟に謝ったが、老人はポケットから1万円札を数枚出してコウジに渡そうとした。
「違う、別に強盗じゃないから!お金はいらないの!塩せんべい買いに来ただけだから!」
「・・・塩せんべい?」
「ずっとそう言ってますよ!」
店主はゆっくりと立ち上がり紙袋を手にした。
「もう紙袋マジでいいから!本当に!」
コウジの大きな声に老人は再び怯えてしまった。
「ごめんごめんごめん!もうどうすりゃいいのこれ!」
コウジは八方塞がりになってしまったが、店主は手に持っていた紙袋を開くことに成功した。
「おおお!よかった!塩せんべいお願いします!」
店主は紙袋を持ってガラスケースの前に立った。しかし、ガラスケースの扉を開けるために、手に持っていた紙袋を折りたたんでイスの上に置いてしまった。
「なんで置いちゃうの!せっかく紙袋開けたのに!」
店主はガラスケースから取り出したせんべいの箱を入れるために、イスに置いてあった紙袋を手に取った。
「今までの時間なんだったのマジで!ねえ!ほんと急いで!時間ないから!」
しかし、店主は紙袋を開けられずにイスに座ってしまった。
「ふざけんなよ!!!塩せんべい買うだけでなんでこんな苦労しなきゃいけねえんだよ!!!」
「・・・塩せんべい?」
「うるせえな!なんで塩せんべいって言葉にだけ反応するんだよ!これどうすりゃいいんだよ!」
コウジが困っていると、店内の鳩時計が鳴り17時を告げた。
すると店主は置いてあるラジカセの再生ボタンを押した。ラジカセからは蛍の光が流れ始めた。
「おい、嘘だろ!!!買えないことある!?」
「閉店時間です。」
「おい、ふざけんなよ!塩せんべい買わせろよ!」
「またお越しください。」
「急に普通に喋れるじゃん!なんなのマジで!」