
#643 寝てほしい男
夜遅くの電車に揺られながら、男はウトウトしていた。
自然とまぶたが閉じ、意識が遠のいていった。そして男の体は次第に傾き、隣の男の肩にもたれかかってしまった。
「わ!ええぇ!?」
もたれかかられた男は声を出した。
「え、あ、すみません。」
眠っていた男は、隣の男の声で目を覚ました。
「ごめんなさい!」
「あぁ‥。うわぁ…。」
もたれかかられた男の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「え、ごめんなさい。なんか泣いてません?そんなに嫌でした?」
「いえいえ!全然いやなんかじゃないです!むしろ嬉しくて!」
「は?」
「初めて誰かのためになれた気がして!」
「え、なに?怖い!大丈夫ですか?」
「僕、全然会社に馴染めてなくて。仕事もできなくて、毎日この遅くまで残業させられて。ミスしてばっかで、この前上司に、お前なんでここにいるんだって言われたんです。」
「は、はあ…。」
「で、もしかしたら自分には何の価値もない人間なんじゃないかって思ってたんですけど!でもあなたがもたれかかってきてくれたことで、救われました!自分の価値見いだせました!」
「いやいや、そんな大袈裟な!」
「電車内でのあなたの眠りを助けるっていう存在意義が、僕の肩にはあった!!」
「他にももっとありますよ!」
「ありがとうございます!僕の肩を利用してくださってありがとうございました!」
「多分転職した方がいいですよ!メンタルやられちゃいますよこのままだと!」
「あなたに取っては数ある肩の一つにすぎないかもしれませんが、僕はもう、この肩が今後どうなってもいいっていう、最悪壊れてもいいっていう覚悟です!」
「そんなエースピッチャーみたいな覚悟しないでください!」
「さあ、どうぞ!!!」
男は自分の肩をバンバン叩いた。
「いや、いいですよ!」
「どうぞ、思う存分寝てください!」
「いや、そんなことされたら寝れないです!」
「よだれとかで汚していただいても構わない!いや、むしろ汚されたい!」
「なんで!?」
「受け止めるという存在意義を与えてほしい!」
「いや、いいですって!寝ませんよ!こんな大事になると思ってなかったんで!」
「え?寝てくれないんですか?」
男は再び目に涙を浮かべた。
「やっと見つけた僕の居場所は、幻だったんですか!?」
「いや他にもっといい居場所あるから!」
「お願いです!僕の肩で寝てください!」
「どんなお願いですか!?僕次の駅で降りないとなんで!」
「何か僕の枕としての性能に不備がございましたでしょうか!?申し訳ございません、いつもご迷惑をおかけしてしまい!改善に努めますのでもしよければ何かアドバイスやご指導お願いします!」
「今の会社今すぐやめな!?なんかもう虐げられることに慣れすぎちゃってるから!もう駅着くんで行きますね?」
「行かないでください!僕を……僕を見捨てないでください!」
「別に見捨ててないです!」
「僕の1人にしないでください!ご主人様!」
「あー、わかりましたよ!僕がもたれかかることであなたの心が少し救われるなら!いくらでももたれかかってやりますよ!」
「本当ですか!?」
男は隣の男の肩にもたれかかった。
「これでいいですか?」
「ありがとうございます!」
電車は明大前駅に着いた。しかし、男は隣の男の肩にもたれかかったまま降りなかった。