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#610 見ていた男

「やってます?」

木で出来た引き戸を開け、スーツを来たサラリーマンの男が店に入ってきた。

「やってますよ。いらっしゃいませ。」

女性店主が言った。

「他にお客さんいないので好きな所座ってください。」

言われた通り、サラリーマンは鉄板と一体になったカウンターの真ん中に座った。

「ご注文どうします?」

「えっとじゃあ・・豚玉とエビの香草焼きをお願いします。」

「はい。かしこまりました。」

注文を受けた店主は鉄板に油を敷き、その上でたっぷりのエビを焼き始めた。目の前の鉄板の上で徐々に料理が出来上がっていく様子を、サラリーマンは興味深そうに眺めた。

女性店主は無駄のない動きで手早く調理を進めていく。その動きには一切の無駄がなかった。しかし、ふとした瞬間に目の前のサラリーマンから向けられている視線に気づいた。

「え・・・きゃっ・・なに!?」

女性店主は突然大きな声を上げ、後退りした。

「ちょっと嫌だ!!なんですかお客様!!」

「・・・はい?」

「あ、ごめんなさい・・。」

「え、なんですか?」

「いや、なんか私のことすごいジロジロ見られてたもんですから!その視線に危険を感じてしまいまして!」

「いやいや!調理風景を見てただけです!すごい美味しそうに作ってたんで!」

「あ、そうだったんですね!でもなんかお客さますごい・・・リアルな男の方だったので!」

「どういうことですか?」

「この空間に私とリアルな男性、二人きりしかいなかったものですから!」

「僕のことリアルな男性って表現やめてもらえます?」

「何かあってからじゃ遅いと思って大きな声をあげてしまいました!」

「何もないですよ!やめてくださいよ、なんか人聞き悪い!調理してるところ見てただけですから!」

「本当ですか?」

「本当です!」

「でもなんかそれにしては視線がなんて言うか・・ネットリされてましたよね?」

「してないでしょ!」

「すごい舐め回すように見てたっていうか!」

「そんな風に見てないです!鉄板の上を普通に見てただけなんで!」

「なんかすみません!でも私はそう受け取っちゃったので!」

「だとしたら勘違いですよ!」

「できれば私もお客様のこと信じたいです!でも男としてリアルなので!」

「それなんなの?」

「何もない人が、そんな髭の生やし方しないと思うんです!」

「髭は今関係ないでしょ!」

「そもそも、私が鉄板焼き作ってるところ普通そんなに見ます?」

「こんな店の作りしてたらそりゃ見るでしょ!他のお客さんは見られないんですか?」

「まあ見られます。見られますけど・・・でもあんなには見てこないです。」

「そんなには見てなかったでしょ!」

「他にやることないのかなって思っちゃいました。」

「ねえ、僕客ですよ?ずっと失礼なんですけど!」

「ごめんなさい。」

「そもそもお好み焼き食いに来てんだから、鉄板を見るのはやる事として間違ってはないでしょ!?」

「ちょっと・・怖いんであまり大きい声出さないでください!!!」

「何で俺が加害者みたいになっちゃうのこれ?」

「ごめんなさいほんとに・・。ずっと失礼なこと言っちゃって・・。」

「本当ですよ。」

「できる限り、お客様の言葉を信じますんで。」

「早く作ってもらえます?」

「かしこまりました。」

女性店主は、サラリーマンに怯えた様子を隠そうとしないまま調理を再開した。

「なんか嫌だな!そんなに怯えないでもらえます?」

「ごめんなさい!ちょっと一回呼び込みだけして来てもいいですか?」

「行かなくていいですよ!」

「言っておきますけど私・・・旦那いるんで!」

「知らねえよ!そもそもな、あんたみたいなババアのことなんか女として見ねえんだよ!勘違いすんな!」

「ひどい・・・。」

女性店主は声をあげて泣き始めた。

「さすがに今のは言い過ぎたか・・。」

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