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#639 辞めたい男

「やっぱり気持ちは変わらないか?」

上司は部下に尋ねた。

「そうですね。今月いっぱいでこの会社を辞めさせてもらいます。」

「まあお前の気持ちが固まってるなら仕方ないけど。できれば辞めないでほしいんだよな。お前はうちの会社の若手のエースだし。」

「そう言ってもらえるのはすごいありがたいんですけど。僕の気持ちは固まっちゃってるんで。」

「なあ、なんで辞めちゃうんだよ。何か他にやりたいことがあるのか?」

「いや、特には。」

「じゃあなんだ?何か会社に不満があるのか?俺にできることならなんでもするぞ?」

「いえ、この会社は素晴らしいと思ってます。」

「じゃあなんでだよ。このままこの会社にいれば、お前の能力なら凄いところまでいけるし、将来も安泰だぞ?なんで辞めちゃうんだよ。」

「辞める時の解放感味わいたくて。」

「…は?」

「仕事とかバイト辞めた時って、特有の解放感あるじゃないですか。それが味わいたくて。辞めさせてもらいます。」

「ちょっとごめん。マジで意味がわかんないんだけど。え、なに?解放感味わうため?」

「はい。一番最初は大学生の時だったんですけど。3年間勤めてバイトリーダー任されてた引っ越し屋を就活の為にやめたんですね。」

「ほお。」

「そしたら最後の出勤が終わった瞬間に、脳汁止まらなくなっちゃって。変な話、異性とのそういうやつとかより全然気持ちよくて。それ以降、体が勝手にその解放感を求めるようになっちゃいました。」

「なんか気持ち悪いな。」

「もう辞めるために働くっていう人生です。」

「なにそれ、やばいね。」

「ですよね。自分でもやばいなっていうのは思ってて。なんか違うもので置き換えられないかなーって色々試してはみたんですよ。あんま仲良くない人と飲み行く予定を1週間ぎちぎちに詰め込んで全部バックれてみたり。」

「それ単純に人として良くないよ。」

「大量に試着して全部買わないっていうのとかも試してみたんですけど、それは全然良くなかったです。」

「知らないよ。」

「やっぱり社会的な責任が重要で。責任負ってれば負ってるほど辞めた時に脳汁溢れてくるんですよね。だから俺そのためにこの会社の仕事頑張ってたんです。」

「あ、そうだったの?」

「簡単に辞めれちゃったら、気持ちよくないんで。何か重要なプロジェクト任されてたり、ポストに付いてたり。まあ僕はそれをオプションって呼んでるんですけど。そういうのがないと脳汁出てこないんですよね。」

「オプションとか脳汁とかそういう表現やめろよ。」

「正直、今先輩が引き留めてくれてるのとかも、僕からしたら脳汁案件でした。ご馳走様でした。」

「いや、別にご馳走した覚えはないよ!いやちょっとよく考え直せ!話聞いた上でそんな理由で会社辞めるなんておかしいよ!」

「僕だって本当は辞めたくないですよ!僕が辞めたら会社に影響が出るし、このままいれば人生安泰です!でもだからこそ!辞めた時気持ちいい!」

「もう病気だよ!」

「辞めるって伝えた日から、脳汁がジワジワと湧き上がってきて!辞める前のラスト1週間で一気に高まって!辞める前日の夜なんかはヨダレとかが止まらなくなって!最後の出勤が終わって会社を出た瞬間のあの快感は!流行ると思います!」

「流行るわけねえだろ!」

「サウナの次は退職だと思うんですよ!マジで整いますからね!」

「整うっていうな!どっちかといえば乱れてんだよ!」

「あ、ちなみに俺が次に目指してる仕事知りたいですか?」

「あ?」

「深夜のトラックの運転手です。」

「なんで?」

「体力的にきついし、物流支えてるっていう責任もあるんで、辞めた時脳汁爆発しそうじゃないですか。だから僕、今大型免許取りに行ってるんですよ。」

「やばいわこいつ。」

「では、失礼します。」

「おい、待て。」

「はい?」

「お前、定年退職って知ってるか?」

「はい。」

「定年っていうのはな、何十年も勤め上げた上で退職するんだ。今のお前のやり方より脳汁の量、多いんじゃないか?」

「はっ……!!!!」

「この会社で働き続けて、役職に就きそして定年して、脳汁をガンガンに出す。これも悪くないんじゃないか?」

「確かにそうかもしれない!!!」

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