#646 怖がられる男
仕事終わりの24時、ノジマは疲れ切った様子でフラフラと家に向かって歩いていた。
酒屋の角を曲がって神社の前の通りを歩いていると、雑木林から何やら物音がした。
ノジマは足を止めて、音の方へ振り向いた。すると雑木林から、白い服を着て青白い顔をした髪の長い女の霊が出てきた。
「うわっ!」
思わずノジマは声を上げた。
「ギャーーーー!!!!」
そんなノジマの姿を見た女の霊は悲鳴を上げた。
「え?」
「ギャーーーー!!!なに、え、ちょ!怖い!怖い!」
「え?なんで?あなたが?」
「きゃー、怖い!え、幽霊!?あなた幽霊?」
「いや、違いますよ。失礼な。」
「え、嘘でしょ!?あなた…生きてるの!?」
「そうですよ。」
「え、本当に!?ジョークじゃなくて!?」
「俺そんなに幽霊みたいですか?」
「はい。生きてるとは思えないくらい生気のない顔してます!」
「いや、仕事漬けの毎日で疲れ切ってるから仕方ないでしょ。」
「にしてもですよ!夜道とかですれ違う人、悲鳴あげたりしません?」
「しませんよ!なんなんですかさっきから!幽霊扱いして、失礼ですよ?」
「いや、本物の幽霊の前でその発言する方がよっぽど失礼ですよ?」
「あ…。」
「こっちだってなりたくて幽霊になってるわけじゃないんで。」
「すみません。」
「え、本当に生きてる人間ですか?」
「まだ聞くんですか?生きてるって言ってるでしょ!」
「え?なんか楽しいこととかあります?」
「ずっと失礼だね君!」
「じゃああるんですか?」
「んー、そう言われると。確かにないかもなあ。」
「ですよね。」
「毎日終電間際まで残業させられて、上司には怒られて。休みの日は家でゴロゴロしてるだけなんで。」
「え、こんな時間まで仕事してたんですか?」
「はい。」
「え、毎日ですか?」
「ええ。」
「え、その職場楽しいんですか?」
「だから言ったでしょ。楽しくないって。」
「え、じゃあなんでその仕事続けるんですか?あ、給料がすごくいいとか?」
「いいえ。全然ですよ。」
「じゃあなんでですか?」
「まあなんでって言われても。もう30も超えたし。今さら転職したって、ろくなところ行けないだろうし。」
「ふうん。なんかあなたモテなそうですね。」
「本当デリカシーないね。君。」
「ごめんなさい。死んでるからかも。」
「それ理由になってる?」
「お兄さん彼女いますか?」
「いないよ。」
「でしょうね。」
「なんだ君は。別に俺だって本気になったら彼女くらい作れるから。」
「え、今は本気出してないってこと?なんで本気出さないの?」
「いや、それは…。」
「なんかお兄さん、好きな人とかできても遠くから眺めてるだけの一番キモいタイプな気がします。」
「お前ムカつくな。」
「え、殴ります?いいですよ?死んでるから痛みとか感じないんで。」
「余計ムカつくわ。」
「そもそも図星だからムカつくんでしょ?」
「そんなことねえよ。」
「好きな人のこと遠くから眺めてるだけなんでしょ?」
「……まあ、そうかもね。」
「もったいないですね。ご飯とか誘えばいいじゃないですか。」
「いや、誘いたいけどさ。どうせ俺みたいなやつに振り向いてくれないし、フラれたら気まずいし。」
「あんたなんなのさっきから。」
「え?」
「めんどくさいとか、どうせ無理とか。やっぱり死んでんじゃん。」
「いや、生きてるって!」
「じゃあもっとちゃんと生きろよ!こっちは生きたくたって生きれないんだぞ?」
「え?」
「会社で仕事したいし、恋だってしたいんだよ!でも死んじゃったからできないんだよ!お前みたいなやつ見てると……腹たつ!」
ノジマは何も言い返せなかった。
「振られたからなんだよ!ただ悲しいだけだろ!こっちは振られることもできないってのにさ!」
「……。」
「あんた、やりたいこととかないの?」
「んー…。」
「あんだろ!言ってみろよ!」
「まあ、昔は漫画家になりたかったなあって。」
「じゃあやれよ!やりたければやりなよ!できるんだから!なんでやらないの?」
「いや、年齢もあるし。どうせ俺なんか…」
「それムカつくって言ってんだろ!無理かどうかなんてわかんないし、無理でもまだ人生続くじゃん!」
「そうだけど……。」
「もうさ、変わってよ!生きてるのに死んでるんだったら、私と人生変わってよ。」
「………うん、いいよ。」
「え?」
「俺、君に人生あげるよ。君、見た目も可愛いしまだ若そうだし。君に僕の残りの人生あげられるんだったら、もういいかな。」
「そんなことできるわけねえだろ!ばかかよ!」
「え?」
「できたらとっくにそうしてるよ!!」
「そうだよね。」
「まあでも、あなたをこっちに引き摺り込むことならできるけどね。」
「え?」
「命を入れ替えることはできないけど、あんたの命を奪ってあんたをこっち側の人間にすることはできる。あんた、死んでもいいんだよね?」
「え?うん…。」
「じゃあこっちに引き摺り込んであげるよ。」
女の幽霊は、ゆっくりとノジマに近づいた。
「ま、待ってくれ!」
「え?」
「やっぱり待ってくれ!俺、まだ死にたくない!こんなにくだらない人生のまま、死にたくない!俺もっと、人生楽しんでから死にたい!お願いだ!殺さないでくれ!」
幽霊は背中を向けた。
「そんなことできるわけないじゃん。」
「え?」
「私があなたのこと殺すなんてできるわけないでしょ。幽霊に夢見すぎですよ。私ができることなんて、せいぜい人を怖がらせることぐらいです。」
「もう、なんだよ。ビビらせんなよ。」
「でもよかったですね。自分の本音が出せて。」
「……。」
「まあ別にあなたの人生なんで、あなたの自由ですけど。その人生、欲しいって思いながら死んでいった人がいること、心の片隅に置いておいてくださいね。」
女の幽霊は茂みに消えていった。
ノジマは歩き出した。そしてポケットから携帯を取り出し、カエデという名前の女とのライン画面を開いた。
今度ご飯でも行かない?
ノジマは送信ボタンを押した。