与えるものと与えられるもの
2020年も残すところあと2か月ですね。11月の初投稿です。
とは言っても独り言みたいなもんで。
子どものときは、与えられるものばかりで、人に何かを与える、なんてあまり考えなかった。というか、そんなこと微塵も考えたことはない。
でも、だんだん大人になってきて考えること。
限りある人生という時間の中で、どれだけのものを人に与えることができるか。どんな風に生きれば、多くの愛を人に分け与えることができるか。大切な人がどれだけできるか。そういうことが人生を生きた意味になっていくんじゃないか、と。
自分なんて世界からしたらちっぽけな存在で、別に居ても居なくても世界は変わらない。自分に存在価値なんてないんじゃないかって考えた日もそりゃある。
だけど、そんなことはこの世に存在するすべての人に言えるわけであって。生きる意味なんて大局的に見れば多分無いんだけど、それが、生きることをやめる理由にはならない。
自己嫌悪から抜け出して、自分への愛を持っていなければ、誰かに愛を与えられないんじゃないかな。
自分を肯定して認めてあげることは、人やモノを大切にして、愛することに繋がる。
自分が誰かに与えることができる愛は、自分への愛が満たされた時の溢れた分かもな。
と、ふと思いついたから、書き留めておく。
与えられるものよりも、誰かに与えるもののほうが多い生き方をしてたい。
当分は、それが生きる理由。