探偵file No.011 素晴らしい円形校舎の廃墟旧沼東小学校を探訪する
まるで時間が忘れ去られたかのような静寂の中に包まれている森へと足を踏み入れる。
市街地から離れ、バイクで山道を進み、舗装された道路は粗末な砂利道の林道へと変わり、その先には深い森が広がる。大きな木々が両側に立ち並び、その枝葉が道を覆うようにして、薄暗いトンネルを形作っている。
蒸し暑い夏の午後でも、風はこの森の中に吹き込むことができず、充分すぎる湿気を含むねっとりとした空気が肌を包み込む。
道を進むうちに、人工的な音が一切届かなくなったその道は、深い森に吸い込まれていくような感覚に陥る。鳥のさえずりや風に揺れる木々のざわめきが、かつてここに生活があったことを思い起こさせるが、その音はどこか遠く、まるで森そのものがその歴史を封印しているかのようだ。ここに足を踏み入れる者は、現代の喧騒から隔絶された異次元へと誘われる。
しばらく進むと、道らしい道はなくなり、ぬかるんだ湿地帯となり、熱帯雨林のジャングルをも連想させるけもの道に。もう靴は泥だらけとなり、足首まで泥沼に吸い込まれる。
夏の最盛期、背丈まで生い茂る雑草を掻き分けて、吹き出す汗を拭う間もなく歩き続けると、やがて目の前にぼんやりとした輪郭が浮かび上がる。旧体育館の骨組み、鉄骨だけが悲しく残っている。
湿地帯を暫く進むと、息を呑むほどそこに不釣り合いな近未来的な姿を現した。それはかつて円形校舎の沼東小学校と呼ばれた建造物だ。森の中にぽつんと佇むその姿は、時間が止まったかのように何十年も変わらず、そこに居続ける。廃墟となった校舎は、森の力に押し負けることなく、しかし徐々に森のその一部と化している。かつて白かったであろう外壁は、今では苔や蔦に覆われ、緑のカーテンがかかっている。窓ガラスは砕け散り、そこから森の息吹が校舎内に忍び込んでいる。
周囲は全て大湿地の沼と化し内部への侵入を拒んでいるようだ。雑草が生い茂る森の中に、その隙間から、かつて子供たちが駆け回っていた足跡を見つけることはできない。しかし、風に揺れる森の音は、暑さとともにどこか懐かしく、遠い記憶を呼び覚ます。鉄製の建具は錆びつき、色褪せたペンキやタイルが剥がれ落ちている。それでも、校舎の中から子供たちの笑い声が微かに聞こえてくるような錯覚を覚える。
森の中にぽつりと佇む校舎は、円形校舎という珍しい形をしている。その姿は、まるで森の中に迷い込んだかつての未来都市の断片のようだ。この円形校舎は、戦後の日本が未来を夢見ていた時代に設計されたと言われている。円形の中心には広々とした空間があり、そこには今でも円形の天窓が残っている。かつては子供たちがそこに集い、天窓から差し込む光を浴びながら、未来への希望を胸に勉学に励んでいたのだろう。
だが、その天窓から差し込む光は、今や暗く、陰鬱なものに変わっている。雨の日にはその天窓から水が滴り落ち、校舎内の床を濡らしている。鉄琴コンクリート造りではあるが腐りかけ、朽ち果てようとしている。それでも、この円形校舎はなおもその独特な形状を保ち、森の中でひっそりと時の流れに抗っている。
無風の森の静寂を少しだけ風がそよぎ、木々の間を通り抜け、その音がかすかに校舎に響き渡る。まるで、かつての賑わいを思い出すかのように。
この沼東小学校は、もう子供たちが訪れることのない場所となったが、その存在は決して消え去ることはない。森がそれを飲み込むまで、この場所は、かつての子供たちの夢や希望、そして未来を宿し続けるだろう。
バイクに戻り、エンジンをかけると、両目に焼きついた円形校舎がまるで一つの幻影であったかのように思える。しかし、その静かな佇まいの中に、確かにかつての生が息づいていたことを、誰もが感じ取ることができるだろう。
沼東小学校の存在は、ただの廃墟ではない。それは、かつての日本の地方に根付いていた生活の象徴であり、未来を信じた子供たちの夢の証でもある。この場所がいつか完全に森に飲み込まれるとしても、その記憶は永遠に失われることはないだろう。
今まで探訪して来た建造物の中でも最も秀逸なひとつであることに疑いはなく、何の満足感か分からぬが心が穏やかに満たされ、円形校舎 沼東小学校を後にした。校舎への林道沿には、素晴らしい渓相の渓流が流れ、暑い夏の空気を少しだけ冷やしてくれた。遠い昭和を感じた今年の夏の思い出ができた。
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