ゼレンスキーのことば(情報の読み方)

2022年04月18日の読売新聞(14版・西部版)1面に、「露、マリウポリ投降迫る/ウクライナ首相「最後まで戦う」/ゼレンスキー氏「全滅なら協議中止」」という見出し。読みながら、私は、ぞっとした。
 記事の内容は、見出しのとおり。念のために途中を省略し引用しておく。(番号は、私がつけた。)
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①露国防省は16日、市街地を「完全に解放した」と発表し、その後、製鉄所の敷地を拠点に抵抗を続けるウクライナ軍に対し、17日午前6時(日本時間17日正午)から17日午後1時(同午後7時)までの投降を求める最後通告を出した。
②これに対し、ウクライナのデニス・シュミハリ首相は17日、米ABCニュースのインタビューで「我が軍の部隊は依然、残っており、最後まで戦う」と述べた。
③17日午前の発表で、露国防省は、ウクライナ側の通信内容を傍受したとして、「投降を拒否するよう指示されている」と主張した。約2500人とされるウクライナ軍側にはカナダや欧州などの外国人雇い兵が最大400人含まれているとし、「抵抗を続ければ全員殺害することになる」と警告した。
④これに先立ち、ゼレンスキー氏は16日の自国メディアとの記者会見で、マリウポリ情勢に関し、「(自国軍が)全滅すれば、ロシアとの停戦協議は終わりを迎えることになる」と述べ、交渉打ち切りの可能性に言及した。
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 読売新聞の見出ししたがって、「漫然」と新聞を読むと、ロシアがウクライナに、投降を迫った。ウクライナ首相は、投降を拒否し「最後まで戦う」と言った。さらにゼレンスキーも「(マリウポリのウクライナ軍が)全滅すれば、ロシアとの停戦協議は終わる」と語ったように見える。つまり、ゼレンスキー(ウクライナ)の決意表明のようにみえる。この決意表明をどうみるか。読売新聞の書き方は、ゼレンスキーの決断を「称賛」しているようにみえる。強い愛国心のあらわれ、ウクライナ人の決意の強さを代弁している、と。このことについては後でもう一度書くが、時系列とおりに経過をたどりなおすと、このニュースの見え方が違ってくる。
 読売新聞の④には「これに先立ち」ということばがある。この「これに先立ち」はとてもあいまいで、時系列的には、ウクライナ首相が「最後まで戦う」とインタビューで答える前ということしかわからない。つまり①のロシアがマリウポリ市街地を完全解放したと発表した後なのか、それとも投降を求める最後通告を出した後なのか。③の記事が事実を伝えているのならば、「投降拒否の指示(たぶんゼレンスキーからの)」をロシアが把握したので、投降を求める「最後通告」を出したのだろう。「最後通告」のあとにゼレンスキーが「全滅なら協議中止」という発言をしたのなら、そのときは「投降拒否」は「絶滅するまで戦え」というウクライナ軍への指示を含んでいるはずだ。これを受けて、②首相は「最後まで戦う」と言っている。ゼレンスキーに歩調をあわせていることになる。
 
 ここでいちばん問題になるのは(きっと、今後、問題になるのは)、ゼレンスキーの指示と、それを首相が追認したという「ことば」の順序である。ゼレンスキーが「投降するな、最後まで(全滅するまで)戦え」という指示を出したのだとしたら、首相が「反対」とはいいにくいだろう。軍隊の体験がないから、テキトウなことを書くが、軍ではトップの指示に対して部下が反対とはいえないだろう。とくに、部外者に向かって「大統領が投降するな、絶滅するまで戦え」と指示を出しているときに(16日)、それを知っている首相が(17日に)「投降の可能性もある」といえるはずがない。「最後まで戦う」と兵士の代弁をするしかない。
 で、そのことと関係するのだが。
 「投降するな(絶滅するまで戦え)」という指示は、大統領に許されることなのか、とうことである。「投降するな(捕虜になるな)」という指示を出す権利はだれにあるのか。だいたい「投降するな(絶滅するまで戦え)」というのは、「戦って死ね」ということである。「戦え」という指示を出すことは軍隊にとって必要だろうが、「死ね」という指示を出すことは適切なのか。とくに指導者の場合、その責任が問題になるだろう。
 私は実際に体験したわけではないから断言はできないが、日本が引き起こした戦争の末期の悲劇は「投降するな/絶滅するまで戦え」という命令に問題があったからではないのか。勝てないと判断したら、投降し、兵士を命を守ることが大事なのではないのか。
 ゼレンスキーの指示(判断)は、完全に間違っている。「投降するな/絶滅するまで戦え」というような命令は出してはいけない。

さらに、この読売新聞の記事には、もうひとつ問題がある。
 ゼレンスキーは「(自国軍が)全滅すれば、ロシアとの停戦協議は終わりを迎えることになる」と語っただけで、軍に対してどういう「命令/指示」を出したのか、具体的にはわからないことである。
 わからないけれど、

ゼレンスキー氏「全滅なら協議中止」

という見出しを読むと、どうしても「絶滅するまで戦え」という指示を出していると感じてしまう。そして、その指示が私の「妄想」どおりだとして……。その指示に対して読売新聞はどう思っているのか、それがはっきりとはわからない。
 私には、読売新聞は、このゼレンスキーの態度を「好ましい」ものとして伝えようとしていないか。ウクライナの決意を伝えるものとして「称賛」していないか。また、この見出し、記事を読んだ読者は、「ゼレンスキーがんばれ、ウクライナ兵がんばれ」という気持ちを持たないか。
 これは、とても危険なことだ。
 私はロシアの侵攻が間違っていると思うし、既に書いたが、ロシアは絶対に敗北すると考えているが、だからといってウクライナ兵に対して「死ぬまでがんばれ」とはいえない。死なないために、できることはなんでもしてほしいと思う。「投降する(捕虜になる)」のは、生き延びて、チャンスを見つけて反撃するためだろう。「絶滅」しては、反撃できない。ほんとうに反撃する気持ちがあるなら、いったん投降し、生き延びる道を選ばないといけない。

プーチンの「ロシアは核をもっている」という発言(核使用を示唆する脅し)も問題だが、バイデンの「ロシアの政権を交代させる」「物価高はプーチンのせい」「ウクライナでジェノサイドがあった」という発言も問題だ。同じように、ゼレンスキーの「絶滅するまで戦え」を暗示させることばも問題だ。(ゼレンスキーの正確なことばは、よくわからない。具体的にどういう指示を出したのか、わからないが……。)
 ジャーナリズムは、どうしても「伝聞」になる。ある発言が、どういう「文脈/時系列」でおこなわれたのかわかりにくいときがある。そのために「ことば」が暴走する。「ことば」を暴走させないで、「事実」を見つめる工夫をしないといけないし、「ことば」にあおられないよう注意して読まないといけない。

繰り返すが、もしゼレンスキーが「絶滅なら協議中止」と言ったのだとすれば、どこかでゼレンスキーは「絶滅」を想定している。「絶滅」は、指導者が絶対に想定してはいけない事態である。(たとえば、核使用の引き起こす「絶滅」がある。)そして、そういう「決意」は、絶対に「称賛」してはいけない。すこしでも「称賛」のニュアンスが出てはいけない。
 「最後(絶滅)まで戦う」という決意を「称賛」してはならない。死ぬのは、指示(命令)を出したひとではなく、戦っている兵士である。
 権力者の側に立つのか、戦っている兵士の側に立つのか。
 ここから「ことば」を動かして、現実をとらえなおす必要がある。プーチンも危険だが、バイデンも危険だし、ゼレンスキーも危険だ。三人とも冷静さを失っている。

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