自民党憲法改正草案再読(7)


 「第9条の2(国防軍)」第9条の3(領土等の保全等)」は新設された条項である。一項ずつ、疑問に思っていることを書いていく。

第9条の2(国防軍)
1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

 「国防軍を保持する」の「主語」は何だろうか。「第9条」は「日本国民は」と書き出されていたが、「日本国民が/国防軍を保持する」と読むのはむずかしい。私は日本国民であるけれど、その私を主語にして「私が/国防軍を保持する」とは言えない。どうしても「日本国は」と私は読んでしまう。「日本国が/国防軍を保持する」。「民」ということばが、このとき消えてしまう。
 そして、そのかわりに「内閣総理大臣」がここに登場してきている。これは「日本国(内閣総理大臣)が/国防軍を保持する」にならないか。「内閣総理大臣が国防軍を保持する」というのは「内閣総理大臣が国防軍を指揮する」ということである。それが「「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」の意味だろう。
 国民をほっぽりだして(後回しにして)、内閣総理大臣が登場するのは、国民主権の憲法とは言えないだろう。これでは独裁者のための憲法になるだろう。
 この条文では、私は、また「及び」にひっかかる。
 「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保する」。この「及び」はどういう意味なのだろうか。自民党改憲草案では「及び」はイコールの意味でつかわれることが多い。それを当てはめると「国=国民」なのだが、どうも「うさんくささ」がつきまとう。なぜ、ここに「国=国民」を持ちだしてきているのか。
 言い換えると、もしこの条文が「国及び」を省略した「我が国の平和と独立並びに国民の安全を確保する」だと「意味」はどう違ってくるのか。私は「我が国の平和と独立並びに国民の安全を確保する」で十分だと思う。「並びに」は「並列」であり、いわゆる「と」と同じ働きをしている。「我が国の平和と独立と国民の安全を確保する」とすると日常口語に近くなる。
 「国及び国民(国=国民)」をあえて強調しているのは、第1条「天皇」の部分に出てきた「日本国及び日本国民統合」という文言が意識されているのだろう。「国民は統合されなければならない」(国民は統合しなければならない)があるのだ。
 私は「国=国民」とも思わないし、「国民の統合」が必要とも思わない。国民はばらばらでいいと思うので、非常にひっかかるのだ。(このことは、また別の条項、第13条で触れることにする。)

2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

 「承認」ということばが出てくる。天皇の国事行為では「承認」を省略し、皇室の財産に関しては「国会の議決」を「承認」に変えていた。「承認」には、「事後承認」がある。しかし、「議決」には「事後議決」ということはない。「議決」は事前に議決する。それを考えると、ここで「国会の議決に服する」ではなく、「承認に服する」と書いている意味は不気味だ。だいたい「承認に服する」という言い方はないだろう。
 「国防軍」が何かの行動を起こしたあと、それ「国会」に「承認させる」ということが頻発するだろう。

3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

 ここにも「及び」が出てくる。「国際的に協調して行われる活動及び公の秩序」は、しかし「国際的に協調して行われる活動=公の秩序」なのだろうか。だいたい「国際的な公」とは何だろうか。どの「国」からみた「公」なのか。
 現実問題として、中国、北朝鮮のいう「公」と日本(あるいはアメリカ)のいう「公」とは違うだろう。「国際的に協力して」とあるが、これは「全世界(公)」が協力してではなく、同じ「体制(思想?)」を持つ国が協力して、だろう。そんなことろに「公=全世界に共通する何か」があるわけがない。
 「又は」と比較してみればわかる。「公の秩序」と「国民の生命」は同じではない。だから、そこには「及び」はつかえない。だから「又は」と書き、「若しくは」とことばをつづける。「及び」をつかのうは、強引に別個のものをイコールで結びつけるためなのである。
 「及び」が「及ぶ」という動詞から派生していることはすでに書いた。これを「国際的に協調して行われる活動及び公の秩序」にあてはめるとどうなるか。「国際的に協調して行われる活動を起点として、そこで確立された体制を押し広げ、それを公の(世界の)秩序」にする、ということである。簡単に言いなおせば、「アメリカの軍事活動に協力し、アメリカの望む世界秩序を確立する」ということである。そのために日本は「協力する」というのが改正草案の狙いである。
 これは「集団的自衛権」を成立させたとき、すでにその一歩を踏み出している。

 読売新聞の記事によると、麻生は、中国が台湾に侵攻した場合、安全保障関連法の定める「存立危機事態」と認定し、限定的な集団的自衛権を行使する可能性があるとの認識を示した。
 なぜ、中国の台湾進行が「日本の存立危機」なのか。「存立の危機」に直面するのはアメリカの世界戦略である。アメリカは台湾を、ケネディ・フルシチョフ時代の、ソ連にとってのキューバにしておきたいのである。中国大陸を台湾からにらみつづける。アメリカ大陸から脅しをかけるよりも台湾からかける方が効果的だ。台湾を手放したくない。台湾を日本のように「不沈空母」として利用したい。
 その戦略(世界秩序)のために日本がひっぱりだされる。麻生は、嬉々として、それに応じたいのだ。


 自民党の政策は、すべて改憲草案を先取り実施している。現実を積み上げて、なし崩し的に現行憲法を無力化させるのである。「改憲」しなくても、改憲したのと同じ状態になりつつあるのだ。

4 前2項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。

 ここにも「及び」が登場する。「国防軍の組織、統制=機密の保持」。これでは「国防軍」のすべては「秘密」にされたままである。いっさいの情報(指揮系統を含む)は公開されない。「国防軍」のなすがままである。

5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

 ここでは「及び」ではなく「又は」がつかわれている。「職務の実施に伴う罪」と「国防軍の機密に関する罪」は個別のものだから「及び」はつかえない。ここからも改憲草案が、「及び」をいつ、どんうなふうにつかっているか、その狙いは何か、ということを探る手がかりがあると思う。

第9条の3(領土等の保全等)
 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

 「国民と協力して」ということばが出てくる。この意味は何だろう。どんな強力を国民はしなければならないのか。「軍隊に入りる」か。それならば「徴兵制」である。「ほしがりません、勝つまでは」では戦前の抑圧である。
 自民党がやっていることは、改憲草案の先取りである、と何度も書いたが、この条項を読みながら思い出すいのは、今国会で成立した「重要土地利用規制法」である。簡単に言うと、自衛隊基地や原発など安全保障上重要な施設の周辺や国境の離島などの土地利用を規制する法律である。政府が対象に指定した区域の土地所有者や利用実態などを調査し、規制することができる。これが「国民の協力」しなければならないことなのだ。国が基地につかうといえば、国民は自分の土地を自分の好きなようにつかえなくなる。
 条文は「国は」と主語を特定し、「領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない」と書いているが、実質は「領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保するために」国民は「協力しなければならない(土地を提供しなければならない)」である。そう読み替えるとき、「重要土地利用規制法」が改憲草案の「先取り」であることが明瞭になる。
 何度も書くが、現行憲法は自民党によって、なし崩し的に「改憲草案」に乗っ取られているのである。

 

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谷内修三
マスコミ批判、政権批判を中心に書いています。これからも読みたいと思った方はサポートをお願いします。活動費につかわせていただきます。