戦争とことば

ロシアのウクライナ侵攻、その戦争。この報道をめぐることばには様々な問題がある。読売新聞を引用しながら何度か書いてきたが、別の問題(たぶん他紙にも共通するだろう)について書くことにする。
 読売新聞は、自民党寄り、あからさまにアメリカ戦略の宣伝機関となって報道している。しかし、その読売新聞(西部版、朝刊14版、夕刊4版)が、こんな見出しをつけている。①は2022年05月1日朝刊、②は2022年04月30日夕刊。

①ウクライナ/露軍 東部拠点で「停滞」/イジューム 激しい抵抗受け
②ウクライナ/露軍 東部作戦に遅れ/米分析「補給維持へ慎重」

私は、ロシアの侵攻を正しいとは一度も思ったことはないし、かならずロシアが敗退するだろうと思っているが(その理由はすでに書いた)、つまり、ロシアを支持するのではなく、ウクライナを支持するのだが。
 その私が、この見出しを読んで感じることは、ただひとつ。
 この見出しはロシア側からの視点で書かれていないか。主語が明確になるように助詞を補えば、こうなる。

①ロシア軍がウクライナ東部の拠点で停滞している。
②ロシア軍のウクライナ東部での作戦が遅れている。

これでは、ロシア軍の活動に対して、「もっとがんばれ」と言っている印象を引き起こさないか。少なくとも、私は「ロシア軍、がんばれ」と言っているように読んでしまう。これは、「露軍」を「日本軍」と書き換えれば、すぐわかる。

①日本軍 東部拠点で「停滞」
②日本軍 東部作戦に遅れ

こうだったら、私は愛国者ではないけれど、多くの日本人はどうしたって「日本軍、がんばれ(負けるな、勝て)」と思うだろう。書かれた「主語」にあわせて、読んだ人間の感情は動く。
 もしほんとうにウクライナの人々のことを思うなら(読売新聞が、単に自民党の政策にしたがっている、アメリカの政策を宣伝しているのではないと主張するなら)、もっとウクライナの人々の立場で見出し、記事を書くべくだろう。読売新聞(日本語版)をウクライナの人が読むわけではないと考えるから、こういう見出しがつくのかもしれない。日本に避難してきているウクライナの人もいるが、その人たちがこの見出し、記事を読んだらどう思うか、考えたこともないのだろう。
 ウクライナを主語にするなら、こういう見出しが考えられる。

①ウクライナ 東部制圧許さず
②ウクライナ 侵攻拡大阻止

これなら、私は、「ウクライナ軍はがんばっている。ロシアの侵攻を許すな」という気持ちになれる。
 「新聞には文字数の制限がある、だからウクライナを主語にして見出しをつけるのは困難」というかもしれない。でも、それを工夫するのがジャーナリズムズ働いている人間の務めだろう。

で、ここから翻ってあれこれ思うのだが。
 読売新聞にしろ、その主張の基盤になっているアメリカの方針にしろ、ウクライナの側に立って、ウクライナの安全を守り、戦争を終結させる、奪われたウクライナの領土を取り戻すという「思い」がないのだろう。
 では、読売新聞やアメリカは、どう思っているのか。
 戦争の長期化、拡大を心配するふりをしながら、実は、戦争の長期化を願っている。戦争がつづく限り、米の軍需産業はもうかる。経済制裁により、ロシア経済は弱体化し、ヨーロッパとロシアの経済関係も破綻する。(ロシアはヨーロッパでは金を稼ぐことができなくなる、ヨーロッパ市場をアメリカが支配できる。)核戦争は困るが、戦争がウクライナでつづいているだけなら、これはアメリカ経済にとっては好都合なのだ。
 もちろんアメリカでも市民は「物価高」に苦しんでいる。しかし、それは「プーチンのせい」と言ってごまかすことができる。アメリカでは、軍需産業だけではなく、たぶん「石油産業(化石燃料産業)」も膨大な利益を上げているはずである。それだけではなく、以前書いたことだが、どうやらこの「石油危機」に関係づけて、ベネズエラにもさらに圧力をかけるつもりらしい。読売新聞は、いちはやく、ベネズエラ難民をテーマにした記事を書いている。ベネズエラの現政権を倒さないと、ベネズエラの市民の生活はよくならない、と「アメリカの主張」を代弁している。
 さて、「戦争」を利用した「石油産業(化石燃料産業)」の金儲けは、「戦争」の影響でわかりにくくなっているが、「地球温暖化問題」を「情報」のわきへ押しやっている。電気自動車のことがときどき書かれるが、電気自動車が主流になるまでに、いったい石油はどれだけ売れるのか。「石油危機」(たとえばガソリン高騰)という大宣伝のかげで、いまこそアメリカの石油産業は金儲けのチャンスと喜んでいるだろう。だれもアメリカの石油産業に対して「石油の消費は地球温暖化を招く、売るな」とはいわないだろう。「石油が足りない、売ってくれ」というだけだろう。「石油産業」は批判の対象ではなくなったのだ。
 ウクライナの戦争で、多くの市民が死んでいく。同時に、経済戦争が引き起こした物価高が原因で死んでいく人も増えるだろう。さらに、地球温暖化のせいで死んでいく人もいるだろう。戦争での犠牲とは違って、物価高(貧困)も地球温暖化のために死んでいく人というのは「視覚化」されにくい。死ぬまでの時間も長期間であるから、原因の特定にはなりにくい。
 でも、問題は、そういう見えにくいところにある。
 私たち市民は、そのひとりひとりは「権力」からは「見えにくい」を通り越して「見えていない」だろう。
 この「見えにくい」ところで動いていることばを、なんとしてでも、明確にしていかなければならない。戦争が起きているいまこそ。

銃を持たない(銃をつきつけられたら反撃できない)というふつうの市民、物価高が進めば生きていけない市民、地球温暖化のために起きる環境破壊によって死んでいく市民。そこから世界をとらえ直し、そのことばで世界を描きなおし、それを提示することがことばにたずさわる人間の仕事だろう。
 「ことば」は思想であり、その思想というものは、たとえばヨーロッパの思想家の著作の中にだけあるのではなく、「えっ、カップラーメンも値上がりするのか」という市民の声のなかにもある。そして、そういう市民の声の方が、より切実で、大切な思想なのである。そういうことを、いまのジャーナリズムは忘れている。それが戦争を報道するときの「視点」のでたらめさに、端的にあらわれている。
 誰の立場から書かれているか、そのことに注目しながら、新聞を読みたい。

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谷内修三
マスコミ批判、政権批判を中心に書いています。これからも読みたいと思った方はサポートをお願いします。活動費につかわせていただきます。