ことばに、何ができるか。

ロシアがウクライナの原発を攻撃した、というニュースがある。
https://www.yomiuri.co.jp/world/20220304-OYT1T50163/
原子力発電の危うさ。
プーチンは「核は使用していない」という詭弁をつかうだろうか。
妥協点をみつけることが、むずかしくなるばかり。
一気に核戦争に突入しそうな不安。

その一方。
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【お知らせ】ヨーロッパ諸国宛てEMS・航空小包の引受一時停止、ラオス宛て航空通常郵便物の引受再開について  3/1更新
2022年3月2日(水)から、ヨーロッパ諸国等宛てのEMS及び航空小包郵便物について、航空会社による減便及び搬入制限を受け、輸送力が回復するまで引受けを一時停止します。(国際郵便のホームページから)
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こういう小さなニュースがある。そのことを気にするひとは少ないかもしれない。
でも、私は気になる。
こういうあまり気にならないところから、じわじわと生活がかわっていく、というのが戦争なのだ。
爆弾が突然落ちてくるわけではない。
ということは。
戦争を縮小するには、こういう「小さなこと」を完全にもとにもどす工夫からはじめないといけないということだ。
航空便の減少させないためにはどうするか。
民間機の飛行の安全を各国が保障する。
「制空権」は戦争の重要なポイントだけれど、重要なポイントだからこそ、それをどこかの国が「握ってはならない」という具合に政治が動いていかないといけない。
ことばは無力という。たしかに、銃の前では無力である。逃げ出すしかない。
けれど、ことばがなければ、逃げるということも考えることができない。
考えるためには、ことばが必要だ。
ことばがなければ何もできない。
その、人間の「原点」へどうやって引き返すか。あるいは、その「原点」をどうやって守り通すか。
そのことが大事だ。
インターネットは、戦争が起きても「通信(情報交換)」ができるようにするために生まれたという。
戦争を引き起こさないために、いま、どんなふうな利用ができるか。
私に、ロシアの友人(FB)はいたか、ウクライナの友人はいたか。
どちらかを排除するのではなく、どちらともつながりながら、どんなことばを動かすことができるか。
そのとき、私のことばは、どんなふうに変わっていけるか。
私の「基準」はひとつ。
「権力」には与しない、ということ。
連携するならば「権力」ではないものとの連携になるが、そのときでも、その「非権力(反権力)」が「反権力(非権力)」という別の権力にならないように向き合いたい。
いま、ほんとうに、私自身のことばが問われている。
何を語ることができるか。
わからない。

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谷内修三
マスコミ批判、政権批判を中心に書いています。これからも読みたいと思った方はサポートをお願いします。活動費につかわせていただきます。