自民党憲法改正草案再読(3)


 「第一章 天皇」のなかに現行憲法にはない条項が新設されている。

第3条(国旗及び国歌)
1 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。

 この条項で気になる点はふたつある。
①なぜ「国旗、国歌」が「天皇」の章に組み込まれているのか。しかも、その組み込まれている「位置」は天皇の「定義」の直後である。天皇の「権能」を制限した条項よりも前に、国旗と国歌が割り込んでいる。
 なぜなのか。
 国旗、国歌は、天皇と「同列」の存在なのか。国歌、国歌を日本国の「象徴」と考えると、「天皇=象徴=国旗及び国歌」という等式ができる。
 天皇については、「日本国民は、天皇を尊重しなければならない」という文言はなかった。「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」とある。改憲草案の文言でも、天皇がたとえ元首であろうと、それは「国民の総意に基づく」ものである、と定義されている。国民の総意が「いや」と言えば天皇は存在し得ない。国民の方が天皇よりも上位である。尊重する必要はない。尊敬する必要はない。尊重し、尊敬したい人がそうすればいいだけである。
 でも、国旗、国歌については、国民はそれを「尊重しなければならない」。これは、変だろう。
 私は、第一条に、「日本国民は、天皇を尊重しなければならない」と書いてしまうと、「国民主権」の意味がなくなるという批判を恐れて、そう書いていないのではないかと推測する。
 第一条で書けなかったから、第三条で、国旗、国歌を持ち出し、そこに「国民は、尊重しなければならない」をもぐりこませたのだ思う。「国旗、国歌を尊重しなければならないのは、天皇を尊重しなければならないのと同じである」「国旗、国歌を尊重しなければならないのだから、もちろん天皇を尊重しなければならない」という意味が含まれていると思う。
 次に気になるのは、
②「国旗及び国歌」ということばのつかい方である。
 「1 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。」は国旗と国歌が別々に書かれている。しかし「2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。」はひとまとめにしている。
 「及び」ということばは、どうつかうのか。並列のものなら「と」で十分である。「及び」ということばは「及ぶ」から派生していると思う。そこにはなにかつながりがある。そして、そのつながりは、イコール(同等)と同じ意味になると思う。
 国旗と国歌は同等のものであり、それを尊重しなければならない。これは国旗のあるところ、国歌がついて回るということである。オリンピックで日本選手が金メダルをとると、国旗の掲揚と同時に君が代が流れる。同時に存在する。そういうものが「及び」なのだろう。
 そして、ここには書かれていないが「国民は、尊重しなければなさない」は、「及び」の力を借りて「国民は、天皇を尊重しなければならない」につながると思う。「天皇及び、国旗、国歌を尊重しなければならない」。「天皇=象徴(国旗=国歌)」という意識がここには隠されていると思う。
 先日書いたことの繰り返しになるが、改正草案前文の「行政及び司法」は「行政=司法」であるし、改正草案12条の「公益及び公の秩序」は「公益=公の秩序」である。改憲草案では「及び」を「=」という意味でつかっている。それは「天皇=象徴(国旗=国歌)」と書き直し見るとき、いっそう鮮明に見えてくる。
 さらに
③「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。」の「しなければならない」に注目しなければならない。
 憲法は国民のものであり、それは権力者を拘束するための法律である。「天皇」もまた「権力者」である。それは現行憲法にしろ、改正草案にしろ、天皇の「権能」を限定しているところからもはっきりしている。「天皇は、これこれのことをしてはいけない」というのが「天皇」の章に書かれていることの中心である。
 ところが、「天皇は、これこれのことをしてはいけない」という前に、「国民は尊重しなければならない」と「国民の義務」が書かれている。これは、どうみてもおかしい。もし義務があるとしても、それは「国民」の章で書けばいいことであって、天皇の章で書く必要はない。
 さらに直接天皇ということばを出さずに「国旗及び国歌」という条項で国民の義務を明記している。「天皇及び国旗、国歌」である部分の「天皇」を隠して「国旗及び国歌」と書いている。
 こういう「罠」を見逃してはいけないと、私は思う。

 もうひとつ、新設されている条項がある。

第4条(元号)
 元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する。

 第4条は、厳密にはどうかわからないが、いまも行われていることを憲法にもりこんだということか。なぜ、わざわざもりこんだのか。
 思い出すのは、平成から令和にかけての「改元」のどたばたである。さらには平成の天皇の強制生前退位である。昭和から平成への改元は昭和天皇の死亡によって行われた。それまでも天皇が死んだとき(天皇が交代したとき)元号が変わっていた。「皇位の継承があったときに制定する」ときというのは、天皇が死んだとき制定するを言いなおしたものである。
 さて、ここからである。
 元号が以前のように、天皇が死んで、天皇が交代したときに変えられるものなら、それは天皇の死を前提としている。しかし、新設された条項には、天皇の死は明記されていない。つまり、天皇が死ななくても、天皇は交代しうる、ということをもりこんでいることになる。
 これは逆に言えば、政権が天皇を不都合な存在とみなし、交代させる可能性があるということも意味しないか。平成の天皇を強制的に退位させたように、令和の天皇、さらにその次の天皇も、政権が不都合だと判断すれば強制的に退位(交代)させ、改元できるということを意味しないか。
 改憲草案は2012年のものだから、平成の天皇を交代させるための「根拠(よりどころ)」になったとは言えないが、私は改憲草案の「先取り実施」だと思っている。権力者が天皇の交代と改元を、自分の都合にあわせて実施する。令和の改元が、1月1日(新年)でも、令和の天皇誕生日でも、日本人になじみのある「新年度」の4月1日でもなかったことが、それを証明している。安倍は、統一地方選を理由に「4月1日」を避けた。天皇の都合(天皇が死んだ)ではなく、政権が選挙に利用しやすい日を「改元」の日に制定した。
 安倍、菅のやっていることは、改憲草案の「先取り実施」であるということを見逃してはいけない。なし崩しに改憲草案が「現実」になっているのである。


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谷内修三
マスコミ批判、政権批判を中心に書いています。これからも読みたいと思った方はサポートをお願いします。活動費につかわせていただきます。