衆院選から思うこと


自民党は金権問題で票(議席)を減らした。

公明党(創価学会)と共産党は、なぜ票(議席)を減らしたのか。

票と議席は同じではないから簡単にはいえないのだが、創価学会(公明党)と共産党の問題は同じである。かつては「組織票」と呼ばれていたが、それはもう「組織票」ではなくなっている。

なぜか。

簡単に言うと、若い人が、創価学会や共産党に入会・入党しないからである。

「組織票」は「高齢者の票」なのである。

創価学会(公明党)、共産党の支持者は、「高齢化」によって減少しつづけるのである。近い将来、創価学会(公明党)、共産党は、議席がゼロになるかもしれない。

「組織票」が「組織の高齢化」によって弱体化していくというのは、かつての「労働組合の組織票」についてもいえる。

そして、これは、ある意味では、とても重要な問題である。そして、危険なことでもある。

選挙の自由(あるいは信教の自由)は、「組織」にしばられてはいけないというのは、まっとうなようだが、よく考えないといけない問題が奥に隠れている。

「組織」というものが、いつのまにか成立しなくなっているのが日本ではないのか。

自分と同じ考えをもったひとが、同じ目的に向かって行動する。一人では不可能なことを「団結」によって勝ち取る。これは、あらゆる「運動」の基本のようなものであると私は思っているが、この「団結」するということが、なにかしら、「悪いこと」とまではいわないまでも、「堅苦しくて、いやなこと」という「気分」になって広がっていないか。

それを端的に示しているのが「支持政党なし(無党派層)」の存在だが、これは私には危険なものに感じられる。

その端的な例が、自民党が「統一協会」の思うがままにあやつられたという「現象」となってあらわれたのは、つい最近のことである。

ある思想(主義)のもとにひとがあつまり、団結して行動する(自分たちの要求を実現するために戦う)ということは、人間として、当然の「権利」である。

それなのに「戦う」ということばだけに反応して、「○○主義は危険だ」という教育がおこなわれていないか。おもてだった教育ではないが、「主義のために戦ってきた」というのが人間の歴史であるということを教えるのを避けてはないか。

その一方で、「国を守れ、国を守るために軍備を増やせ、軍事費を増やせ」という考えがある。「軍隊」ほど「組織的な組織」は存在しないと思うが、この「軍国主義」には、「自分は軍隊という組織にははいらない(私は自由だ)」という「自分だけは安全」という思いで賛成するひとも多いようだ。だが、戦争がはじまり「軍隊という組織」が実際に「団結して力を発揮する」とき、きっと「組織」を持たない若者は、どんな抵抗もすることができずに、その「組織」に飲み込まれていくだろう。

自民党の大敗で「改憲」の動きは、現実としてしばらくは不可能だが、ちょっと考えてみたい問題である。

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谷内修三
マスコミ批判、政権批判を中心に書いています。これからも読みたいと思った方はサポートをお願いします。活動費につかわせていただきます。