「敵基地攻撃」改称論?
読売新聞の政治面。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20220129-OYT1T50255/
「敵基地攻撃」改称論…自民「反撃」「打撃」案、公明「先制と誤解も」
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なぜ「改称」なのか。なぜ「ことば」なのか。
この問題は、よく考えてみないといけない。「戦争法」のとき「集団的自衛権」ということばが飛び交った。そして、そのことばは、多くの人によって、次のように誤解された。「日本が中国や北朝鮮から攻撃されたら、日本だけでは対抗できない。アメリカの協力だけでも不可能だ。近隣諸国と共同して(集団になって)日本を守る(自衛する)しかない。集団的自衛権は、日本にとって重要な防衛政策である」。
これは「日本の自衛隊が集団的自衛権を行使する」という文脈を無視している。つまり「集団的自衛権」の「主語」が「自衛隊」であることを忘れた論理である。しかし、この「主語」をぬきにした論理、主語を「近隣諸国」にすりかえた論理が、安倍を支持するサイトで横行した。
「集団的自衛権の主語は自衛隊」と説明しても、だれひとり納得しない。「集団」も「自衛」も誰もが知っていることばである。その知っていることばを自分の知っている定義で組み立て直して理解する。政治家は、その「国民の日本語能力」を利用する。
今回の場合、どうか。
「敵基地攻撃」。「敵」も「基地」も「攻撃」も知っている。敵は中国、北朝鮮。基地はミサイルを配備している場所。攻撃は、ミサイルを打ち込むこと。つまり、中国や北朝鮮のミサイルに向けて日本がミサイルを発射するのが「敵基地攻撃」である。どこにも間違いがないのだが、これでは「自衛」の感じがなくなる。「自衛」の感じを出さないと、国民に受け入れてもらえないのではないか、と心配しているのである。
「戦争法」では「集団的自衛権」が絶大といっていいほどの効果を上げた。名称が「日米共同戦争権=アメリカが攻撃されたら、いつでもどこへでも自衛隊を派遣し戦争できる法律)」だったら、国民の受け止め方は違っていただろう。
自民党の一部や公明党が狙ってるのは、どうやって「自衛権」の要素を盛り込むか。どうすれば国民の目をごまかせるか。そのための「ことば探し」である。
記事にこう書いてある。
政府・与党内で、敵のミサイル発射基地などを自衛目的で破壊する「敵基地攻撃能力」の呼称見直しが、能力保有に向けた議論の焦点の一つに浮上している。特に、保有に慎重姿勢の公明党には、国際法に抵触する恐れのある「先制攻撃」と混同されかねないとの懸念が強い。
公明の北側一雄副代表は27日の記者会見で、「もっと違った表現にしてもらいたい。言葉として、『敵基地』も『攻撃』もふさわしくない」と述べた。
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「自衛目的」と、まず書いている。「自衛目的」なら何をしてもいいという感じを出すための工夫をしようとしている、ということである。まあ、これは、「戦争法」が問題になったとき「創価学会の女性たちが戦争法に反対している」をアピールしたのに似ている。なんとしても「戦争に反対している党」をアピールしたいというだけであって、戦争に反対というわけではないのだ。(反対アピールしただけで、創価学会の女性たちが、自民党、公明党以外の党に投票したかどうかは、結局はわからない。わかっているのは公明党が議席を減らさなかったということだけである。)戦争に反対している(戦争反対という意見は持っている)とアピールするけれど、戦争には賛成というのが公明党(創価学会)の「戦略」なのである。
問題は。
こういうとき、こういう「事実」をどう報道するかである。読売新聞は、ただ「こういう動きがある」とだけ書いている。「こういう動き」に対して、読売新聞はどういう立場をとるのかを書いていない。事実を伝えるために、どういうことばを選択するか、という姿勢を示していない。
政府がつかえば、それをそのまま正確にコピーして伝える、というだけだろう。
これは平成の天皇の「生前退位」報道のときとおなじである。誰が、何のために「生前退位」という「造語」を生み出したのか。(平成の皇后が、誕生日の談話で「生前退位」ということばを聞いたことがない、と語ったために、「生前退位」という表現を思いついた人間が特定されそうになった。そのため、あわてて「生前退位」ではなく「退位」という表現に切り換えた。まず読売新聞が、その先陣を切った、ということを絶対に忘れてはいけない。)
「ことば」には「ことばを選択する」ときの「意思」がある。その「意思」にまで踏み込んで「ことば」を見つめないといけない。
いま見つめなければならないのは、「敵基地攻撃」を「改称」することで、ほんとうに狙っているのは何か、ということである。
私は、次の部分に注目した。
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北側氏には、近年は移動式発射台や潜水艦からのミサイル発射が可能となっていることに加え、ミサイル攻撃だけが脅威ではないため、標的は「敵基地」に限らないとの思いがある。
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「ミサイル基地攻撃だけではダメだ」と、ほんとうはいいたいのだ。つまり、もっと軍備を増強する必要がある。「移動式発射台や潜水艦からのミサイル発射」に対抗するために、日本も「移動式ミサイル発射台」や「ミサイル発射ができる潜水艦」を導入すべきだという方向へ論を展開したいのだ。
そういう方向へ論を展開していくために、自民党は公明党を利用しているし、公明党はそれを知りながら自民党の「お先棒担ぎ」を嬉々としてやっている。「反戦公明党」をアピールしながら「戦争大好き公明党」を隠せる絶好の機会だからだ。「戦争法」のときとおなじだ。
そして、この背後には。
国民への配慮なんかは、まったく、ない。アメリカの軍需産業を儲けさせ、その見返りに「日本の国会議員」でありつづけるという「保身」の思いしかない。
いったん戦争がはじまれば、極限状況に達するまで、戦争は終わらない。沖縄、広島、長崎だけではない。第二次大戦後のアメリカのかかわった「戦場」を見れば、すぐにわかる。どんな戦争も「自衛」を名目にはじまり、「反撃」を名目に拡大していく。「改称」するなら、そういう事実を隠すのではなく、もっと明確になるように改称すべきなのだ。
自民党が進めているのは「敵基地攻撃」能力のアップではなく、「敵攻撃誘発」システムの完備なのである。日本が軍備を増強すればするほど、敵(中国、北朝鮮?)は日本の基地を攻撃するための準備を進めるだろう。名目は、やはり「自衛」なのである。日本から侵略されないために。なんといっても、日本は中国や北朝鮮に侵略している。「自衛力/防衛力」を増強しようとするのは当然のことだろう。
侵略戦争への反省と、その戦争に関する近隣諸国との「共通認識」を形成するということからはじめないと何も解決しない。アメリカの手先になって、というか、アメリカの言うがままにアメリカの軍需産業に金をつぎ込み、国民は貧乏を強いられるだけだ。
それにしてもなあ。
こんな記事を嬉々として書いている読売新聞が信じられない。
「敵基地攻撃」が「敵基地反撃」に改称されたら、読売新聞が報道した通りになった、とはしゃぐつもりなのか。読売新聞が報道したから「敵基地反撃」になった、そして国民が納得できるものになった、読売新聞は世論をリードする新聞である、というつもりなのかもしれない。
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