自民党憲法改正草案再読(7の追加)
現行憲法の第二章(第9条)は「戦争の放棄」。これは日本国民が、「政府には再び戦争をさせない」という決意の表明である。言いなおすと「政府は戦争をしてはいけない」という政府への禁止条項である。そのときの「主語(主役)」は国民である。
改憲草案の「第二章」には「安全保障」というタイトルがつけられ第9条には「平和主義」というタイトルがつけられている。ここまでは、「主語(主役)」は国民である。しかし、新設された「第9条の2」には「国防軍」というタイトルがつけられている。そして、ここからは「主語(主役)」が国民ではなく「国防軍」にかわっている。
(改正草案)
第9条の2(国防軍)
1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前2項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
現行憲法は「第一章 天皇」「第二章 戦争放棄」「第三章 国民の権利及び義務」のあと、「国会」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」「補則」とつづいていく。「天皇は国民の象徴」「戦争放棄は国民の決意」。タイトルに国民ということばはないが、あくまでも「主役」は「国民」である。国民のための憲法。
象徴と決意は「理念」をあらわしている。現実の「国」の組織形態としては、いちばん偉い(大切な)のは(こういう表現でいいかどうかわからないが)、国民である。国民の下に国会があり、その下に内閣、司法という組織がある。「軍隊(国防軍)」という組織は存在しないが、もし存在するとしても、それは「実働組織」であるから、国民よりも上の存在であるはずがない。実際、「自衛隊」は「防衛省」に属する「下部組織(下部機関)」である。つまり、「内閣」の「下部組織」である。
その「下部組織」である存在が、改憲草案では「国民」よりも先に書かれている。あたかも「上位組織」であるかのように書かれている。しかも、第9条2の詳細を見ていくと、「内閣総理大臣」のあとに「国会」が出てくる。ここでも現行憲法の国民→国会→内閣という構造が逆になっている。国会→内閣(総理大臣)→国防軍でないと、国民が主役の憲法とは言えない。
なぜ、順序が逆になっているのか。それは改憲草案が、内閣総理大臣を頂点として、その下に内閣の下部組織(たとえば国防軍)があり、その下に国会、さらにその下に国民が存在するという意識で書かれているからである。内閣総理大臣が軍隊を指揮し、国会と、国民を支配するという「独裁」の理念によってつくられているからである。
「安全保障」という「耳障りのいいことば」で「独裁」の意図を隠している。
もし、国民→国会→内閣→国防軍という「理念」を踏襲するなら、「国防軍」は現在の「自衛隊」と同じように「法律」で別個に規定すればいいだけである。「理念」を踏みにじってまで、つまり、国民の権利、義務を定義する前に、「国防軍」を先に書く必要はない。
なぜ、第9条の文言を変えるだけではなく、わざわざ条項を新設して(独立する形でついかして)、ここに「国防軍」を書いているのか、「内閣総理大臣」を「国会」より先に書いているか、そういうことにも注意を払わないといけない。
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![谷内修三](https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/assets/default/default_profile_4-e3b57528da29acad20d5a2db33268c87f1d39015448757ddf346d60fb5861e49.png?width=600&crop=1:1,smart)