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第二の人生晴朗なれど波高し~年賀状考

2023年 私の定年退職の年。
 あらゆる事が、あらゆる分野で起こって、かなり固まりつつある脳みそを、今更ながらフル回転しなければならなかった。その一つずつを思い出すままに記したい。
 前年暮、かなり押し詰まって、家族から感染してコロナになった、その明けて元旦のことである。

 社会からの自主隔離。
 そんな所に来た年賀状、嬉しくて丁寧に拝見。
 おやっ、と思ったのが写真の賀状である。差出人の名がない。それは間々あることなので、それ程の驚きではない。
 裏を返して内容を読めば、だいたい誰かがわかる。
 が、どうしたものか、参考にならない文面。参考例文集か⁉、という内容。
 オッ❢QRコード❢【気づくのも遅い】
 アクセスしたら、年賀状印刷会社のサイトが開いた。「スマホで頼める年賀状印刷」なんて出てきた。
 この会社が凄い。相手先の住所氏名さえ連絡すれば、絵付き裏面印刷〜宛名印刷〜投函まで、全部やってくれるというのだ。
【投函までってさぁ〜あのねェ〜は、また後で】

 
 これは「企業」からの、いわばダイレクトメールか?いやいや、文面にそれらしい内容がない。
 それなら、何百枚も年賀状を出さなければならない、偉い「先生」か?いや❢それにしては、社会へのメッセージとか、自己の使命に関する何かがナニも語られていない〜

 そして、私はUSBをPCに挿し、珍しく早々と、出した葉書、貰った葉書、などのチェックを始める。【私は、こんな事が出来る様になった自分に、良し❢頑張ってる❢と思える、おめでたくも哀しい世代】
 心当たりの方々からはもう戴いている。
 私の推理はここで行き詰まる。
 いつもゆっくり来ることになっている、未着の年賀状は、そりゃあもう個性とメッセージ性に溢れている。
年賀状という制度は、ある意味「生存確認」の働きもあり、悪くはない。だけど、元旦に着くことに使命を感じている自分に飽きが来ていた頃だった。そこで退職を期に年賀状仕舞いをしようと、自分の年賀状にはその旨書き付けていた年でもあった。】

 翌朝。テレビの画面に、昨日QRコードで読み込んだ会社の名前が出て、「差出人名の代わりに自社名がわかるQRコードを印刷した」年賀状を投函発送したという、ニュースであった。
 それはわかる。そうだろう。
    夕方、またそこの社長が、新しく、差出人入りの年賀状を出し直します、とのこと。
 そうだろう。それしかない。
 それもニュースになる程の枚数だ。あぁ~やっちまったなぁ。
 だが、しかし?はて!?

 なにはともあれ。誰か企業でもなく、先生と呼ばれるような立場でもなく、印刷会社に投函までを頼む人物で、なおかつ私【面倒臭いオバサン】に年賀状をくれる人物が、数日後にわかる事となった。
 投函までを印刷会社に頼んでもいい〜と思うのは、たぶん男性。
 女性というものは自分が可愛い❤から、「お元気ですか」とか、「何とかやってます」、「今年もご教示お願いします」などと、《手書き》で入れたりする。
 男性でも、仕上がりを確認して投函したい人も多いに違いない。
 資本主義が身についていたら、確認はしようよ…と。
【年賀状は、出せばいいだろう➖️の、ノリがそこにある気がした➖️誰かに言われたか?と。すると、親に厳しく言われた、スマホを片手でポチッと押すのになれた、若者か?!】
 

 数日後に届いたやり直しの年賀状は、果たして「職場の新人」さんであった。ダメ押しのように、印刷会社のお詫びの葉書も到着した。責任は全て「当社」にあるのであって、「差出人様」には何の責任もない~なんて、書いてある。
 違うんだよぉ~
 言わば、これは心の問題、あるいは、文化の問題。
 「紙文化」の恩恵の尊さを、体験的に知らず、紙に書いた文字を「前時代」としても構わないような生活習慣が身についた若者に、誰かが「年賀状」って大事だ❣ちゃんと出せ❣と言った結果がこれなのではないか❓❣
 ちゃんと書け❣と言ったかも知れないが、文=言葉の贈り物という、本質が理解されていないのではないか。
 「年賀状」も、郵便局の独占市場ではあるが、手紙=文なのだ。
 平安時代の貴族の恋の「めんどうくささ」から、千年経ってみたらセレブの恋は簡単になっているのだろうか。少なくとも、下々を煩わせる面倒くささは脱したろう。【セレブではないので確信はない】


 Web生活に慣れて、便利で、カラフルで、写真の加工なんかもできて【因みに私はできないが…】あっと言う間に知り合いに一機に送れる、Web年賀状。
 これからはそういう時代なのだ❣とは、知っているような気もする。
 失われた30年世代{現在30代後半~50代の世代}と、私の属するその上の世代は、幼少期にWebの恩恵を受けていない。そんなモノはなかったのだから。だから、今も「紙媒体」への信頼が深い。
【郵便料金が上がった。年賀状の発売数どうなったのかな。】
 
 人類が発生して、言葉を発して、それが文字になるまでの年数。
 紙の発明と、その伝播。
 識字率。普通教育。
 その間を流れる、何万年、何億の人、手から手へ、命さえ懸けて。
 その文明の拝みたくなるような輝きを手に入れて、わずかに100年程度で、言葉の貴重さを失いつつあるのかと、あれからずっと考えている。

 ありがたい事に、ミンナダイスキ北欧では、どうやらタブレット教育の弊害が出てきて、筆記教育の見直しを始めたらしい。
 さて、頂いた年賀状には返事をせねばと、買ったけど、余ってしまった年賀葉書をどうしようか?(笑)
 今年も読んでください。
 よろしくお願いします。



 

 
 


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