第二の人生晴朗なれど波高し~看取りって⁉
私は母がずっと苦手でした。「私の光る君へ・番外編・オスカルと紫式部」にもちらっと書きましたが、敬意と同情を持っていたものの、長い年月、私は素の感情を隠して母に接していました。それは別稿で。
以下に記すことは、私の「母の死」の周囲で起こったことで、約2年を経過してみないと、冷静に書けないと思いつつ、病院や施設で臨終を迎える家族を持つこともある時代には、知っておいても良いかなと思い、記します。
私の場合、父も17年前病院で亡くなりましたが、医師の言葉の説明はありましたが、書類はなかったので、知っておきたかったことでもあります。
母は気丈な人で、父亡き後17年も一人で暮らしてくれていました。
私と、同じ町出身の夫は、共働きをしつつ、車で1時間の故郷に、父の生前から毎週通い、様子を見、買い物などを手伝っていました。母の生活そのものは、平日はお気に入りのヘルパーさんが来てくれていました。
90歳を過ぎたあたりから、母の入退院が以前より頻繁で、長期にもなってきていました。突然出る高熱が謎のまま、入退院を繰り返し、介護士派遣の所長さんにも、老人施設への入居を、なんども勧められました。もちろん本人にもですが…ここら辺も別稿で。
母は気丈すぎて、すぐ退院したがり、医師や看護師の指示に従わない…などなど。で、医療付老人施設に入居してもらいました。
そうして、1年半。コロナ禍は長引いていて、病院でも、施設でも、ガラス越し面会が励行されていました。
コロナに罹患した私は、施設に入居した母と年末面会の予定でしたが、その旨連絡すると、二週間は面会できないとのこと。無論、ガラス越しの面会です。
ところが、三が日を過ぎると下記のような書類が送られてきたのです。
看取り介護についての同意書
私○○○○は(利用者名○○○○: 利用者との続柄:〇 )の看取り介護に ついて、医師の診断と介護老人〇〇施設△△△の看取り介護指針に基づく対応について説明を 受け、私どもの意向に沿ったものであり、下記の内容を確認し同意いたします。
記
① 令和 5年 1月 10日をもって、医療機関での治療等、ご本人の苦痛を伴う
処置及び延命 治療は行いません。また、危篤な状態に陥った場合でも病院
への搬送は希望しておらず、当 施設にて最期を看取ります。
② ご本人の意思及び人格を尊重し、身体的、精神的援助を行います。
③ 医師への相談及び指示を仰ぎながら、可能な限り苦痛や痛みを和らげる
方法で、看取り介護 を行います。
④ ご本人ご家族の希望に沿った対応に心がけ、情報の提供と共有に努めま
す。 但し、ご本人ご家族の希望、意向に変化があった場合は、その都度
対応を見直すと共に意向 に従い援助させて頂きます。
⑤ 深夜帯に亡くなった場合の連絡は
□直ちに行います。 □明朝に行います。
以上
介護老人福祉施設○○○○○○施設長 ■■ ●●● 殿
令和5 年 1月〇 日 入所者 氏 名○○○○ 印
身元引受人 住 所 (契約者) 氏 名○○○○ 印 (続柄 )
(その他の家族)住 所 氏 名○○○○ 印 (続柄 )
住 所 氏 名 ○○○○印 (続柄 )
説明医師 施設又は医療機関名 ○○○○印
施設立会人 職 種 氏 名○○○○ 印
びっくり仰天した私が施設に電話をすると、しばらくして通いの医師《通常週1回の診察、必要な場合週2回診察》から電話。
「お母さまの食事がかなり細くなったので、とりあえず念の為です。今の状態から持ち直す場合もよくありますから。」と言われました。
よく似た質問の書類は、施設入居の際も、母本人の意思を確認しながら書きました。
その前の二つの病院でも、やはり書いたと思います。
しかし、「看取り」という言葉にはどきどきしていました。
今思うと、母はもう94歳だったのだから、どきどきするというのも、私は甘えた考えだったのかもしれません。
11月の面会では、それなりに会話ができていたので、まだ先の事に思ってもいたのです。
とにかく、もう一度確認の為に施設に電話し、「あの、面会はできますか」と言うと、そういう連絡は徹底されていないのでしょう。
コロナ罹患の話はどこへやら「それどころではないから」「すぐに来い」ということです。
そこで翌日向かうと、
「お母さまは昨日から食欲が少し出て、今すやすやと眠っているから…」と面会なしで、また看護師長さんから「看取り」の説明です。
【どうもこの間に、私たちがコロナ罹患後2週間過ぎていない確認をしたのか❓とも勘ぐりましたが、その当たりでは評判の良い施設で、この程度はよくあることと思います。】
自宅に帰って電話すると、母の容体はかなり安定し、会話も出来る様になったとのこと。
ひとまず安心して、翌週の面会を頼みました。その際「お孫さんなど、なるべく会わせたい人はお連れください。」と言われ、刻々と時が迫る思いがしました、
翌週行くと、施設内立入禁止が私達家族のみ解除されて、母の部屋に入れました。
ベッドで横たわっているかと思った母が、車椅子に座っていて、挨拶ができるのに、間々あることながら、孫のことをすっかり忘れていたようです。
他の入居者も含め、帰宅願望が強まらない様にか、入居の最初から面会は月1回と言われていました。
この時から、私の仕事の性質上、週一の面会をして1月は終わりました。
皆さんの中に、こういう書類を見て驚かれている方があったら、と思い記しました。