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家族が誇れる父親になりたい
2020年12月に肺癌で父ちゃんが亡くなりました。52歳でした。
朝起きたら父ちゃんの危篤状態の連絡が母ちゃんからあり、急いで当時横浜で1人暮らししてた家駆け出して父ちゃんのもとへ向かいました。
結局父ちゃんの最後をこの目で見届けることはできませんでした。
大学3年生までは、僕あんまり好きじゃない父ちゃんでした。
僕には妹がいるんですが、妹のことばっかり可愛がって僕のことなんてあんまり見てなくていっつも怒られる感じでした。
実家にいても父ちゃんがいる時は自分の部屋に閉じこもって出来るだけ怒られたくないから、話さないようにしてました。
今思うと、男だからもっとたくましく育ってほしかったから厳しくしてたんでしょうね。
昔から僕が泣いてばかりだったのでw
実は父ちゃんの生い立ちとかあんまり知らなかったんですけど
就活の時に、自分のルーツ知りたくて叔父さんに父ちゃんの昔の話色々きいたことがありまして、
その時聞いた父ちゃんの人生めっちゃ壮絶でした。
そもそも僕の父ちゃん3兄弟の真ん中で、めっちゃ貧しい家庭で育ったみたいです。
昔、じいちゃんがギャンブルやりすぎて、家に借金取り来すぎて
ばあちゃんと3兄弟で心中しようとしたこととかもあったそうなんですよね。それしてたら僕生まれてないですねw
じいちゃんがどうしようもなかったので3兄弟で包丁もって庭で戦ったこととかあるそうですw
お金もなかったので大学にも行けずで専門学校に自分でお金稼いで入って
証券会社入って就職したけどバブルはじけた影響で会社なくなるってなって僕が生まれて
このままじゃ家族養えないからデスクワークの証券会社の仕事から肉体労働の引っ越し業に転職して
そのあと運送業に転職して、ずっと家族支えてくれてました。
1日おきに埼玉から岐阜に荷物届けるために大型トラックで往復するんです。
往復700㎞くらいですよね。当然休み全然なくて当時は周りの子のお父さんは土日に家にいていいなあって思ってました。
でも、父ちゃんあんまり仕事の愚痴とか嫌な事とかも家族に言ってなかった気もします。
父ちゃんの家庭環境から僕ら子供たちを2人とも大学まで通わせてくれたの本当にすげえなってそん時思いました。
病と闘ってる時もめちゃくちゃ痩せこけてて、そんな父ちゃん今までみたことなくて
あんなに重い荷物運んで52歳なのに腹筋も割れててムキムキだった父ちゃんが病院に行く度に
僕の肩借りないと歩けないようになっててどんどん衰退していく姿をみていくのがめちゃつらかったです。
でも、そんな辛い時も自分の話とかじゃなくて、母ちゃんと妹を頼むよって毎回言ってる父ちゃんみて、
今くらい、僕にきついって言っていいのにって思ってました。
ちょっとくらい生きてる間に父ちゃんの仕事の話とか相談のりたかったなあ
僕の仕事の近況ももっと話したかったなあ。
父ちゃんに誇れる生き方出来るように明日からも頑張ります。
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