見出し画像

芸術の必要性を考える。1


私は、ガーナで図画工作科を教えていますが、
ぶっちゃけ算数とか理科がよかったよ〜と最初は考えていました。
だって、数値で結果が表せるの、かっこいいやん。

けど、今は図画工作科の奥が深すぎて面白いなと思います。
でも、なんで図工が大事なのか?と問われると、自分の中でまだ明確な答えを導き出せていません。
シンプルに楽しいからええやん!って、それはそうなのだけれど、
自分は、納得するまで一回調べてみようと思います。
そして、頭を整理するためにも、ここに書き記します。
興味があったら、読んでください。

今読んでいる本は
「The ARTS and the CREATION of MIND」
著者ELLIOTW.EISNER

学校における芸術の位置づけと、芸術が心の成長にどのように貢献しているかが書いてある。

以下本から
何かいいアイディアを思いついた時、もし、それらを自分の頭の中にあるものから、公のものへ表現する術、形として表す術がないのならば、それらは、意味をなすことはない。
(ちょっとIn to the wildのHappiness only real when sharedと似ている)
人間は、レガシーを残してきた。概念を作ってきた。新しいものを作り出そうとしてきた。
チンパンジーは300年前から姿が変わっていないが、人間が変わっていたのはまさにこの行為ができるからだ。

自分の頭からパブリックへ移行させる時、この力を身につけるには、五感を通じて、身の回りのことを豊かに受け止める必要がある。

そのために、芸術は、遊びに近い態度をとることがある。遊びを通した想像の過程で生み出されるかもしれないものを具体的に探究し、数字やデータで表せない経験を追い求めてもいいよという許可を出してくれる。

知識に偏りすぎたり、制限をかけたりしすぎてはいけない。
自由な場(ここでは、遊びとして表現されている)を保証することが芸術では大切である。

とまだ1章しか読んでいませんが、以下考えたこと
もし芸術がなくなってしまったら、子供たちは、自分の中にあるものを表現する機会をますます失ってしまうかもしれない。
今、それこそSTEM教育(理科、テクノロジー、エンジニアリング、算数)とかが推されているが、これらは全て、今正解が存在していることをなぞって学んでいくことが多い。
新たな価値や正解を自分で導き出していくのはおそらく大学レベル(いやもっと先になってから)なのかなと思う。
科学と文学は切り離されて考えられがちだけれど、
もしかしたら、今ある偉大な発明は、芸術があってこそだったのかもしれない。

芸術で何かを生み出した数字やデータで表せない経験がひらめきや発明とかにつながったのかもしれないから。
そう思うと、自由度の高い場を保障して、自分の中にある自分が思う正解を表現する、やっぱり芸術って大事だなと思うのです。

そして、本の中に、こんな皮肉?がありますが、
「学校の質に対する不安を和らげるために、技術的合理性を受け入れる傾向がありました。波乱なしに達成できる役立つシステムを作成することを暗黙の見解としています。」
つまり、数字やデータで変化や結果を見せた方が合理的だから、そういう教科こそ大事だし、揉め事も起こさずに重要性も理解してもらえるよねという感じ(?)
著者からは、割と「科学め〜!!!😡」という怒りを節々で気持ちを感じる。笑

今、自分はデータサイエンスなど、数値で表せるものにすごく惹かれている。
きっと、曖昧な教科を扱う立場に自分が置かれているからだと思う。
でも、科学もデータで明確に表せるってだけで、やってる泥臭い感じは、文学と変わらない。
文学も科学もしなやかに手を取り合って、いけばいいのに。

理系とか文系とか言っていますし、圧倒的に理系の感じが足りていない私ですが、どっちの感覚も持っていられる自分になりたいなと思います。

そして、なんで英語の本なの?というのは、私が一番聞きたいです。
実は、日本語であんまり芸術の必要性について書かれている教育観点からの本や論文があまり探し出せなかったのです。

途中で頓挫するかもしれませんが、頑張って読みたいです(?)不安

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?