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木の記憶08/遊び道具
大分県南の港町で生まれ育った。
目の前が海、後ろが山 狭い平地には細い道に住宅が立ち並ぶ田舎町。
そんな町での少年時代の遊び場は、川、山、海だった。小学校も校庭の先が海で 家々の間をぬけ岬の小山を越えて毎日通っていた。
その通学路の途中には町の製材所、なんでも売っている駄菓子屋、新築中の家、家の庭先がありそこにはいつも何かを作っているおじさん達がいた。
工作好きな少年だっだ自分には その近所のいろんなおじさん達がものづくりの先生だった。
作ったのは遊び道具。
材料は、あちこちでもらってきた木の木端(こっぱ)、自分で採ってきた竹、段ボール、針金、空き缶など。道具は、肥後守(当時の男の子はみんな持っていた小型の折り畳みナイフ)、のこぎり、金づち、ペンチなど家にあったもの。作ったもので覚えているのはまずは凧、竹と障子紙で作って学校に持っていき休み時間にみんなで上げた。
竹馬も竹と木で作って学校に持っていき、竹馬ブームに。ブームは友人がころんで腕の骨を折って中止になるまで続いた。
パチンコは虫ゴムを買ってきていろいろ作って 最後はライフル的なものにまで進化、性能が良すぎて近所で問題になるまで広がったのは愉快な想い出。ほかに作った道具は、船のおもちゃ、鳥のわな、弓、手裏剣、竿、金ツキ、いかだなど。今にして思えば遊ぶことよりそのための道具を考えて作ることが楽しかったのだと思う。
そして、そのころから一番身近にあった素材が木だった。あの頃より木のことも知って上手に使えるようになったが、いまも少しも飽きることはない。これまでたくさんの木を使ってきたけれど、木は生物なので同じものなんてひとつもない。そんな当たり前のことが木のおもしろさであり 難しさであり 一番魅力であると改めて考えている。
(木工係/戸高晋輔/TODAKA WOOD STUDIO)
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