人生の密度を上げる"書く"習慣
同じ映画を見ているのに、「面白かった」しか出てこない人とその映画から人生に対する学びを得ている人がいるのはなぜだろう。
同じようなテレビを見てゲームをして仕事して、似たようなインプットを人はしているはずなのに、人というハードウェアから出てくるアウトプットは雲泥の差があるのだろう。
最近まわりの同級生を観察して考えていたこと。
みんな高校まで同じカリキュラムで、同じ大学入試を受けて、同じ講義を大学3年間受けて、今4年で研究室に配属されているのに、どうしてこうもアウトプットが変わるのだろう。
専攻している化学だけのことではない。
話題のニュースや政治、最近だと円安やロシアウクライナ戦争。
同じニュース、同じ情報をインプットしてるはずなのに、一言の感想で終わる人と本質を理解しようとしている人がいるのはなぜだろう。
自分は思考停止になりたくないし、もしそうなったら世界は恐怖で満ち溢れてしまうのではないかと思う。
なぜなら探求することをやめると、すべての出来事は何かよくわからない怖いものだし、自分にできることはなにもない。という世界観になってしまう。
そこで、自分のために書くことをしていきたい。
アウトプットをすることのメリットは計り知れないが、ここでは一点だけ強調しておきたい。
それは、書く前提で物事を体験すると、体験の濃さが跳ね上がるということ。
これがこのnoteのテーマにもしている、書くことが人生の濃度をあげるという話。
本も映画も、ぼーっと見ている時と、このあと誰かに感想を伝えたいと思っているときには感じることが違うはず。色んなことを考えながら、能動的に作品に語りかけていくはず。
つまりアウトプットを前提にすると、インプットの質が上がるということ。
そしてこれを人生のすべての時間で実践できたら、最高の人生と言えるのではないか?と仮説を立てている。
友達とお茶している時間、毎日のルーティンワーク、やらないといけないタスク、旅行のような非日常体験、そのどのタイミングでも自分は何かを感じていて、何かを考えている。
その機微を見逃さず、目の前の瞬間を最高の濃度で感じる。本気で楽しむ。それが書く習慣、つまりアウトプットで達成される。
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