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第5章「チラシと手紙」-3
チラシを配布してから1ヵ月過ぎた9月2日、遂に狙っていた動きが現実に起きた。差出人不明の白い市販の便せんが川口中央警察署長宛に届けられた。宛名書きに特徴があったことから直ぐに受付の女性が刑事課に連絡して並木たち立会いの下開封すると、中には便せんが一枚だけ入っていた。その手紙は宛名書きと同じ新聞や雑誌の切り抜きで文書が作られ、
「再捜査は時間の無駄」
とだけ書かれていた。これが被疑者の手紙だと断言するのは時期尚早とも言えたが、反対に被疑者以外にこのような手紙を送りつける者がいるはずもなかった。パソコンを使って印字せずに昔の手法を使った切り抜きの文字は、明らかに周到で狡猾な被疑者からの手紙でしかなかった。
特にパソコンで文書を印刷すれば、今の科学捜査をもってすれば使用した機種などが特定できる。その知識を有するからこそ、新聞の切り抜きで挑発的な行動に出たものと思われた。
手紙はすぐに鑑識に回され封筒からはいくつかの指紋が検出されたが、便せんから指紋は検出されなかった。つまり配達や受領に伴う指紋は検出されたものの、肝心の被疑者に結び付く指紋は検出されなかった。
手紙の話は直ぐに警察本部長まで報告され、並木は捜査第一課長に呼ばれた。
「突然、手紙が届いた理由は何だと思う?」
捜査第一課長の高野は立っていた並木を見上げるように質問した。高野は突然の動きを不可思議に思う一方で、並木がこれを狙っていたのではないかと疑っていた。並木はチラシ配布の目的を「事件の風化を許さない」という建前でしか説明していなかった。したがって高野としては騙されたという個人的な負の思いがあった。
「もちろんチラシの効果だと思いますが、思った以上に反応に時間がかかった気はしています」
反省もなく淡々と説明する並木に腹立たしさを感じながらも、結果を出したことを評価しないわけにはいかなかった。高野は苛立つ感情を抑えながら、
「この後、どうするつもりなんだ。次の一手は考えているんだろう?」
と質問した。高野はこの次の策を講じる前に、まずはきちんと説明しろと言わんばかりに威圧感を漂わせた。だが並木は飄々(ひょうひょう)とした表情で、
「そこでお願いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
と言った。さすがの高野もここまで図々しいとは思ってもいなかったので少し驚いた。特にチラシの費用対効果を馬鹿にして低く評価していただけに、結果を出した並木の提案を拒否することはできなかった。部下として優秀だとは思っていたが、ここまで先を読んでいたことに高野は背中に寒けさえ感じていた。
「分かった。だがそれは川口中央警察と調整が必要になるな。少し時間をもらえるか。それと掲載内容とリークする情報を並木の方で考えてもらえるか?」
「分かりました。早急に準備します」
「個人的には広報する日を決めた上で、その前日の夕方にでも次席が囲みをした方が各紙は取り上げるんじゃないかと思うぞ。ただ『夜回り』に来た記者に情報を流すのも良いと思うけどな。リークされた新聞社が特ダネで書けば、他の社も後追いで書くだろう」
囲みとは記者たちへの非公式なレクチャーを意味し、夜回りとは新聞記者が事件の裏付けやネタを求めて県警幹部の自宅などに夜間取材することである。高野としては並木の描いた絵図に乗せられる悔しさも感じたが、またそれに乗じるのも一興に思えた。
「確かに夜回りに来た記者に話をするのは良い案ですね。川口中央署長のところにも夜回りが行くでしょうから、情報を共有していただけると助かるのですが……」
「署長もそこは協力的だから心配はいらんぞ。どこか掲載して欲しい新聞社はあるのか?」
「特にありませんので、そこはお任せしたいと思っています」
「分かった」
時間にして数分の打ち合わせだったが、並木は大きく事態が進展する予感がしていた。並木はこの情報リークによって再び被疑者が動くという確信があった。だが気になったのは手紙の内容で「再捜査は時間の無駄」と書かれていたことだった。第2の事件を起こすとは書かれていなかったが、起こさないという確信も持てなかった。
並木はすぐに会議室に戻ると新たな秘策を部下たちに説明した。もちろん部下たちは歓喜の声で並木の当意(とうい)即妙(そくみょう)を讃えた。だが並木はこれに一喜一憂することもなく、次の策を準備した。
そして3日後の9月6日、新聞の朝刊に「被疑者から挑戦状が届く」と見出しが躍った。しかも新聞の掲載内容は期待した以上に思考を凝らした内容だった。そして掲載した新聞社は1社ではなく2社同時に掲載され、しかも翌日には全社に「挑戦状」の内容と「捜査の進展状況」が2重奏を奏でるような記事で紙面を埋めていた。この記事をA4サイズのスクラップにした菅谷は、
「これを見れば、絶対に動くでしょうね」
とぼそっと呟いた。スクラップした記事は全員に配られ、会議室の士気は一気に高まった。浅見たちはこの気持ちを全員で分かち合いたかったが並木は高野に再び呼ばれていた。
「忙しいところ、すまんな。しかし並木の計略がここまで上手くいくとはな」
「ありがとうございます。ですが課長のお力がなければここまでは上手くいかなかったと思います。ところで今日のご用件は……」
そう言うと高野は並木を呼び出した理由を説明した。高野の話では川口中央警察署長と協議した結果、捜査員の増援が決まった。その理由は未解決事件が解決となれば警察の捜査力を大々的にアピールできるということだった。そしてその可能性があるのであれば、一気に人員を投入すべき時期だと川口中央警察署長が判断したという。
「気持ちはありがたいのですが……」
並木は意外にもこの申し出を断った。本来捜査は人が多いほど良いと考えられ、実際に捜査では人が必要で多くて困ることはない。そして増援を断る幹部などいないと思われる中で、この申し出を断ったことに高野は首を傾げた。
「少数先鋭ってところか? 並木らしい考え方ではあるが、ここで一気にたたみ掛けたいという我々の判断も察してもらえればと思うんだが……」
高野は並木の意見を頭ごなしに否定することはしなかったが、組織である以上は上司の意向を無視すべきではないと暗に口にした。並木は表向きには少数先鋭を理由に増援を拒否したが、真の理由は自分の行動が制限されることだった。
内ゲバ事件の捜査記録を見ること1つとっても、人数が多くなれば誰かが気付き、それが噂になる。噂は尾びれや背びれが付き、思いもしなかった話となって拡散するのが常である。部下5人の行動なら把握や管理もできるが、人数が増えてそれも直接の部下でないとなると管理も面倒だった。
「分かりました。増援の件ですが、手紙の捜査をお願いしてもよろしいでしょうか。既に飯場に入っている5人にはそれぞれ捜査事項を下命してありますので、手紙の捜査を手伝っていただければと思うのですが……」
並木は折衷案としての提案をすると、高野も面子を保てたとばかりに頷いた。高野はその場で川口中央警察署長に連絡すると、
「この度はお気遣いいただきありがとうございました。補佐も署長のご配慮に喜んでおりました」
と組織内政治の美辞麗句を並べた。それを傍目で見ながら捜査第一課長という立場であっても捜査に専念できない気苦労があることを痛感した。
会議室に戻り明日から増援が来る旨を部下たちに説明すると、
「何しに来るっていうですか?」
と否定的な反応を見せた。浅見たちは成果が出るまでは何もしなかった幹部らが、動きがあった途端に手のひらを返したことに不満だった。しかし増援自体は歓迎すべき事ではあったので、それ以上の不満を口にすることはなかった。
そして翌日から川口中央警察署の刑事課の若手2人が捜査に加わった。増員と言っても加わった捜査員は2人で刑事課長も署長の下命で仕方なくやっとの思いで絞り出せたのが2人だった。
投函されたポストの捜査といってもその広さはとても2人で捜査できる範囲ではなかった。そして仮にポストが特定できても、次に周辺にある防犯カメラの映像を確認する作業が必要になる。イジメにも思える捜査ではあったが誰かがやらなければならない捜査でもあった。
そんな増援の2人は成果を出なかった。特に防犯カメラにはデータの保存期間もあるため最初から期待はしていなかったが、被疑者の顔も特定できていないのに結果が出せるはずもなかった。
一方浅見が加わり小山と菅谷の3人は長野に飛んでいた。集団就職は国策事業の一環として「長野県社会部職業安定課」が窓口になっていた、新井はこの集団就職で上京していた。具体的なシステムとしては中小企業組合が労働省の傘下にあった地方の公共職業安定所に依頼し、これを受けて長野県社会部職業安定課が協力して集団就職の希望者を募って各地の仕事を斡旋していた。
長野県はこの集団就職の事業を1975年、つまり昭和50年まで続けていた。そして集団就職で上京した人間の記録は県の公文書館か県庁に保管されていることから、浅見たちは公文書館に調査協力を依頼すると直ぐに新井定一の名前を見つけることができた。この公文書館への捜査を指示したのは並木で、まるですべてを見通しているかのような適切な指揮に浅見たちは驚くしかなかった。
新井は1950年、17歳の時に集団就職で東京に出て来ていた。当時一緒に東京へ上京した人間は80人で、新井を知る人物を捜査したが新井と同じ職場に就職した者はいなかった。しかし新井が最初に就職したのは東京都大田区内の旋盤工場だと特定できた。
最初に就職した会社は京浜工業地帯の一角にある町工場で多くの工場が建ち並んでいたが、埋め立て工事も盛んだったことから街並みも大きく変わり、新井が就職した旋盤工場は既になくなっていた。しかし旋盤工場は雑貨販売の卸売業に形を変えて存在し、当時の経営者の息子が新井定一のことを覚えていた。
息子の話によると非常に野心家だった新井は仕事熱心だっただけではなく、経営にも関心があって先代の社長にいろいろと経営のいろはを質問していた。その熱意は将来独立を考えていたのだろうと思うほどだったが、高度成長期に入り旋盤工場から雑貨販売の卸売業に変わる際に父親が知り合いの工場を新井に紹介したという。
当時の社長は既に他界したが、息子である現経営者は新井のことを鮮明に記憶しており、
「あと5年早く生まれて東京に来ていれば、俺も大会社の社長になれた」
というのが口癖で、その言葉を今でも忘れないと説明した。
また非常に人情味のある人間で、近所で起きた喧嘩の仲裁に入ったり、親孝行であったことも記憶していた。郷里の長野に母親がいたが白内障を患っていて、本来は郷里にいる兄が面倒を見るはずだったが生活苦もあって面倒を見られなかった。そのため、
「母親は将来、俺が面倒を見なければならないから必ず東京に呼ぶ」
と言っていたという。そのために給料を少しずつ貯金し、倹約にも務めて一日でも早く母親を呼びたいと周囲に話していた。
また退職時には転職を機に母親を郷里から呼ぶと話していたが、退職後は挨拶に訪れることもなかったので実際に呼んだのかは分からないということだった。
最初の就職先の社長から紹介された次の会社も同じ大田区内にある旋盤工場だったが、新井は当初郷里の母親を呼ぶのと同時に独立を考えていたという。だが旋盤工として独立できるだけの技術と経営能力がないため「独立は早い」と諭されて紹介された旋盤工場に勤めた。しかし紹介した社長は新井を可愛がっていたこともあって単に転職先を紹介したわけではなかった。
次に勤めたのは小さな町工場だったが夫婦に子供はなく、「後継者として」という話で新井は喜んで転職した。小さくても社長は社長であり、経営者は経営者なので新井は今まで以上に熱心に働き、経営についても一生懸命勉強した。そんな新井のサクセスストーリーは突如として暗雲が立ちこめた。
当時の京浜工業地帯はいろいろな公害問題を抱え、新井は肺を患ってしまった。詳しいことは聞いていないが、母親を郷里から呼び寄せて後継者として頑張ろうとしていた矢先の出来事で、悪いことはさらに続いた。
工場では公害対策としていろいろな設備投資が求められ多額の資金が必要になった。さらに追い打ちを掛けるように仕事も賃金の安い海外へと注文が移り始めた時期で、工場の経営は一段と厳しくなっていった。そんな状況の中で肺を患いながら無理をしたため、症状は悪化して入退院を繰り返すようになった。そして新井の一回の入院期間が長期化するようになった頃、工場はついに自主廃業となり新井も退院後の1963年には所在が分からなくなった。
本来であれば転職先の社長に話を聞きたかったが、子供がいない夫婦だったために他界した現在、話を聞ける人物はいなかった。そのため最初に就職した会社の息子から覚えている範囲で聴取するしかなかった。積極的に協力してくれたものの最大の問題は、
「その後新井さんはどうなったのかという話になると、私もちょっと……」
ということで新井のその後の行方については一切摑めなかった。しかし大きく前進したことは事実で小山は関係者の供述を捜査報告書にまとめた上で並木に報告した。
「ついに仮説ではなく事実を摑みましたね」
並木は浅見たちの労を労うと3人は満面の笑みと達成感を噛みしめた。壁にぶち当たってはそれを乗り越え、また壁に阻まれてはそれを解決して得た自信は輝いていた。3人は労いの言葉に照れくさそうにしながらも「自分の仕事をしただけ」と謙遜な姿勢だった。そして雨の日も炎天下の中でも真実を求めて捜査に当たった苦労を口にすることはなかった。
「整理すると新井が集団就職で最初に勤めたのが1950年でそこで9年間働いた後、次の職場に転職して1959年から4年間の1963年まで働いていた。一方の赤羽交通の前の職場には1970年から働いていたので不明なのは1963年から1970年の7年間ということか……」
並木は一旦浅見たちの捜査結果を整理すると、
「赤羽交通で給料の振込口座で使っていたのは太陽信用金庫大森支店の普通預金で、口座番号は10137598だ。この口座開設日と口座開設で申請した書類を調べたらどうだ」
と指示した。
「どう言うことでしょうか?」
浅見は突然銀行口座の捜査を下命した意味を尋ねた。
「3億円強盗事件が発生したのは1968年でこれにより給料の口座振込みが全国に普及したのは知っているよな。赤羽交通とその前の町工場での給料振込みは同じ太陽信用金庫の同じ口座を使っているから、何か手掛かりが摑めるんじゃないか?」
「確かに1968年からであれば3年間は被りますが、口座振込みが徐々に広まったことを考えるとどうなんでしょう……」
説明を一緒に聞いていた菅谷は、並木の説明に疑問を感じたが、
「口座開設日によっては行方不明になった新井の口座を殺された新井が使っていた可能性があるんじゃないか? 俺の考えだと開設した場所が大森支店だから行方不明の新井が開設したんじゃないかと思うんだが」
と説明すると菅谷は腑に落ちた表情を見せた。小山と菅谷は納得すると捜査協力を依頼する捜査関係事項照会書を作成して信用金庫へと向かった。
そして残った浅見には、
「持病があったことを考えると簡単には雇ってもらえないだろう。だとすればハローワークに通っていた可能性がある。それと入院までしていたのであれば病院や保険請求の方も調べる必要があるな」
と捜査項目を指示した。
だが先に口座開設を調べさせたのは長野への再捜査が目的だった。並木は小山と菅谷をもう一度新井の生まれ故郷である長野に行かせようと考えていた。
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