第1章(2つの事件)-3
川口中央警察署に到着すると3人の巡査部長が机に座って待っていた。案内されたのは4階にある会議室で広さは30平米程度の小さな部屋だった。そこに長机がコの字に並べられ、並木の長机の後ろにはホワイトボードが1つあるだけで、他にはハンガーラックがあるくらいの殺風景な部屋だった。
並木はホワイトボードの前に立ち、簡単な自己紹介を終えると、
「まずはタクシー強盗殺人事件から始めようと思っているが、何か意見はあるか?」
とすぐに本題に入った。しかし初日ということもあって意見を言う者がいるはずもなかったが、誰も意見を口にしないことが逆に否定的に考えている証とも言えた。そんな雰囲気を読めないほど愚鈍ではないが、並木はそんな事件だからこそ捜査してみたかった。
「浅見係長。事件記録は書庫か?」
「はい。全部書庫です。事件をまとめた資料ならここにありますけど……。必要なら持ってこさせます。菅谷部長。捜査記録を書庫から運んできてもらえるか?」
「自分で行くから大丈夫だ。それに俺も捜査員の一員だから、そんなに気を遣わなくていいぞ」
「では鍵を取ってこさせますから、ちょっと待っていていただけますか? 菅谷部長、頼む」
殺人事件の記録は想像を遙かに超える程の量になる。ペーパーレスと言われる時代の中、今も司法の世界は紙で記録をやり取りしているためどこの警察署にも書庫がある。殺人事件であれば記録の厚さは5メートルを越えることもあり、書庫から持ち出した一部の事件記録を除いては記録の殆どが書庫に保管されていた。
並木は菅谷の案内で庁舎の裏庭にある書庫へと向かった。2階建ての書庫は外階段の付いたプレハブ造りで1階が物置、2階が書庫になっていた。書庫に入ると紙に生えたカビと古紙特有の匂いが混ざり合い独特の匂いを醸し出していた。事件記録はパイプ式ファイルと呼ばれる青色のハードカバーでできた2つ穴式のファイルに綴られ、5段式の書棚に隙間なく並べられていた。
「補佐。この辺がタクシーの強殺(強盗殺人事件)ファイルになります。ここは空気が悪いので必要な資料は持って行きますから言ってください」
「ゆっくり見たいから、先に戻っていていいぞ。それとみんなこの事件に乗り気ではないようだが、そんなに上手くいっていないのか?」
並木の質問に素直に答えるべきなか一瞬躊躇したが、実状を知ってもらう良い機会と考えた菅谷は係を代表するようなつもりで質問に答えた。
「この事件は証拠品が包丁だけなので、捜査することがないと言いますか……」
「そういうことか……。分かった。しかし随分と未解決事件はあるもんだな」
書棚にはタクシーの強盗殺人事件だけでなく、他にも未解決事件の記録が保管されていた。
「川口中央ですからね。それと中にはすでに時効が成立した事件もここに保管されています」
「時効が成立した事件が?」
「時効が成立した時に捜査記録は検察庁に送っているはずなんですが、おそらくここにあるのは念のために残しておいた事件記録の写しだと思います。本当は処分した方が良いんでしょうけど……」
そう言いながら菅谷は書棚に並んだファイルを見渡した。
「これは警備事件じゃないのか!?」
並木はそう言うと書棚に並べられたある事件の前で足を止めた。足を止めたのは「朝日町地内・内ゲバ事件」と書かれた事件記録の前だった。本来であれば警備課で扱った事件は警備課での保管が定められているため、刑事課の書庫に保管されていることに違和感を覚えた。
この事件は1988年12月9日に発生し、2004年の刑事訴訟法改正時に10年の時効延長が認められたが結局は時効が成立した。1988年という年は韓国の首都ソウルでオリンピックが開催されたが、前年の1987年には北朝鮮がオリンピック開催を阻止すべく大韓航空機を爆破するなど東西冷戦の影響が残っていた時代だった。
また日本国内では極左暴力集団が飛翔弾を重要施設へ向けて発射する一方、セクト間の抗争も起きていた。内ゲバは内部ゲバルトの略語で、ゲバルトはドイツ語で暴力を意味する。極左暴力集団の各派が勢力と主張を誇示するために鉄パイプなどで他の組織を襲撃する事件を起こしていた。
「朝日町地内・内ゲバ事件」は中国との貿易を営む夫婦が撲殺された事件で、当時中国との貿易は中国政府とパイプを有する一部の共産主義者だけに許された特権だった。中国のスパイと疑われるような時代の中、被害者夫婦は「70年安保」の学園闘争に参加し、逮捕された前歴を有していた。
そして殺害方法も2階のベランダから侵入した被疑者に両手両足を滅多打ちにされた上、逃げられない状態にされた後、頭部を何度も叩かれ撲殺される正に極左暴力集団の「内ゲバ」と同じ殺害方法だった。そして室内からは極左暴力集団が発行する機関紙が複数発見されていた。
また現金には一切手を付けていないこともあって内ゲバ事件として警備課が担当したが、内ゲバは「非公然活動家」と呼ばれる者たちが複数で襲撃する。しかし目撃情報では被疑者が2人だったことを受けて内ゲバ説を否定する意見もあった。だが当時の警察内部での力関係がこの事件を内ゲバ事件へと傾倒させていた。
警備警察は60年安保、70年安保という大きな時代の流れ中で、警察内部において大きな権力を握っていた。しかし80年代に入ると東西冷戦は存在していたものの、国民の間ではイデオロギーに対する意識は低下し、警察内部でも「国家、天下を論ずる警備警察は仕事せず」と揶揄された。
その一方で再び力を持ち始めたのが刑事警察だった。人員や予算の削減に直面していた警備警察にとって存在意義を示すには正に格好の事件だった。そこで警察庁との協議の結果、内ゲバ事件として警備部が担当したというのが背景にあった。
「この事件、小山部長が担当していたそうです」
「小山部長が?」
「はい。異動の歓迎会で聞いた話ですが、小山部長は昔公安にいたことがあって、若い時に担当したと言っていました。ただ巡査だったので、雑用ばっかりだとも言っていましたが……」
小山は特命係の中では最年長の巡査部長で、あと2年で定年を迎えるベテラン刑事だった。身長173センチのがっちりした体型で、自分の意見をはっきり口にする性格だった。機動隊で伝令をしていた時に上司の計(はか)らいでそのまま警備部に配置されたが、警察官を志した理由が「刑事になること」だった小山は巡査部長の昇任を機に刑事の道を歩むようになった。
だが小山の知る情報がここに残された30冊を超える捜査記録に勝るとは思えなかった。ただでさえ1冊のファイルの厚さは10センチあり、1冊を熟読するにも2、3時間は必要な量である。
並木はこの「内ゲバ事件」の事件記録に関心があったが、菅谷がいたので手にすることはしなかった。しかし内ゲバ事件は刑事事件では見られない特徴があり、並木でなくても警察官であれば関心を持つ事件の1つだった。
「菅谷部長。そろそろ時間だから、浅見班長にみんなを帰すようにと伝えてもらえないか」
並木は伝言を頼むと菅谷が書庫を出て行くのを目で追った。そして菅谷が書庫を出たのを確認すると内ゲバ事件の事件記録を手にした。表紙を捲(めく)ると一番最初に綴られていたのは「総括報告書」だった。総括報告書は事件の概要や捜査結果など事件全体を要約した内容がまとめられた捜査報告書で、30ページに亘って記載されていた。
この総括報告書を見ると被疑者は「不詳」と記載されていたが、被疑者甲及び被疑者乙という2人の犯行であることが分かった。しかし甲と乙の特徴はどちらも典型的な日本人の平均的容姿で身長が165センチから170センチくらい、中肉中背、黒色の上下にダウンジャケットで典型的な冬支度だった。
先に読み進むと極左暴力集団の組織に対する「ガサ」、即ち捜索差押え許可状の請求を考えていた捜査報告書も綴られていた。この捜索は被疑者へと繫がる情報収集が目的で、捜査が行き詰まった末の起爆剤にしようとしていたことが窺えた。そこには行き詰まった捜査員の苦悩と「この事件は本当に内ゲバ事件だったのだろうか」という疑念が混在しているのが読み取れた。
そう思わせたのは被害者夫婦の身上捜査で、内ゲバ事件であれば夫婦は活動家であるはずなのにそれを証明する記録が一切なかった。そんな多くの疑問を感じながら総括報告書を読んでいると、制服を着た若い警察官が並木に声をかけた。警察官は今日の当直員で庁舎警戒の巡回をしていたところ、書庫に電気が付いていたので様子を見に来たという。
並木は捜査第一課の人間であることを説明した後、
「お疲れさま。昔の事件記録を見ていたんだが、もう出るところだ」
と言うと若い警察官は頭を下げて一礼するとその場から立ち去った。並木は1冊目の読み掛けの捜査記録とそれに続く2冊目、3冊目の合計3冊の捜査記録を手にして書庫を出た。そして会議室に戻ると帰り支度もせずに家で待つ者のいない並木は、結局朝まで捜査記録を読み続けていた。