第3章「被害者の過去」-4
被害者は新井定一(当時62歳)という1933年5月1日生まれの男で、本籍地は長野県佐久市だった。戸籍によれば結婚歴はなく、出生地は長野県中込町だったが1961年に中込町は北佐久郡浅間町と南佐久郡野沢町、そして東村が合併して佐久市になっていた。
赤羽交通は1972年の赤羽線開通に伴い、豊島区内のタクシー会社が地元に親しまれるタクシー会社を目指して開業した。その時に名前を「赤羽交通」として駅構内の営業権も獲得した。赤羽交通の発足時に被害者は採用されたが、社内の評判は上々で真面目な人間だった。当時はギャンブルをする社員が多い中ギャンブルもせず、突然の深夜勤務の交替も、
「家族もいないから、気にしないでいいよ」
と積極的に応じ、同僚から「定さん」と呼ばれて親しまれていた。
ただ新井は私生活の話をしないだけでなく、同僚と遊びに行くこともなかったので私生活は謎めいていた。ギャンブルだけではなく酒と女という遊びらしい遊びもせず、稼いだ金を何に使っているのかというのが同僚の間で話題になる程だった。そして当時この聞き込み結果に基づいて預貯金を調べたが同僚がいう程の預貯金はなく、自宅からもそれに似合うだけの現金は発見されなかった。
また当時は被害者に対する金銭トラブルも視野に入れて身辺捜査も行われたが、捜査記録を見る限り金銭を巡るトラブルの事実はなかった。ただ稼いだ金の流れに関しては解明するには至っておらず、家財道具を見てもお金を掛けた品物はなかった。
捜査記録には被害者の職歴に関する捜査結果も記載されていた。タクシー会社への入社時に提出された履歴書に前職は東京都台東区内にある町工場が書かれていた。職歴の全体を見ると数年毎に全部で5回の転職を繰り返し、最も長く勤務していたのが赤羽交通だった。
具体的には高校を卒業して上京してから21年近く旋盤工をしていた。そんな経歴の持ち主が全く別の運転手という職種を選んだことに疑問があった。だが旋盤工の労働環境を考えれば当時の運転手は憧れの職業に近い。新井の話でも赤羽交通に入社する少し前に二種免許を取得し、転職の機会を窺っていたと面接時の状況を専務が証言していた。
前職の台東区の町工場の関係者に聞込み捜査をしたが、赤羽交通同様に真面目だが付き合いの希薄な人物だったと捜査記録には記載されていた。
「浅見班長。2人を長野に行かせようと思うんだが……」
「長野ですか!」
並木の言葉に浅見が驚くのは当然だった。売り言葉に買い言葉のようにして始まった被害者捜査で、何を根拠に長野へ出張させるのか。それは正にパワハラとも受け止められると浅見は懸念した。
「赤羽交通に採用された当時はギアがオートマではなくミッションだったはずだ。ギアは全て左側で新井の利き手は左だった。旋盤工もそうだが左利きで苦労した人間が、また同じ左利きで苦労するような業種を選ぶのか疑問を感じる。そしてその答えが、長野にあるような気がするんだ」
浅見はこの説明や発想を全く理解できなかった。そしてそれを聞いていた小山も内心では「生まれ故郷まで行く必要があるのか?」と思っていた。たが並木は真面目な表情で長野に何かあると感じているのを浅見も小山も感じ、それを否定することもできなかった。
「行かせてください」
だが菅谷は積極的に長野行きを希望した。この時点では並木と浅見が検討している話であって口を挟むタイミングではなかった。それを承知で菅谷が口を挟んだため、こうなっては小山も行かざるを得ない。翌日2人は車で長野に向かった。
しかし被害者が1933生まれであることを考えれば、被害者を知る者は後期高齢者ですでに亡くなっている者も少なくない。同級生を探すのはもちろん兄弟を探すことも困難で、ふらっと行って1日で帰れるほど簡単な捜査ではないことを長野に着いた2人は痛感した。
まず実家を訪ねたが実家はなくなっていた。すでに建物すらなく埼玉に戻って戸籍を追わない限り家族の所在は分からなかった。そこで付近を聞き込むことにした2人は近くにあった大きな農家の家を訪ねた。話によれば江戸時代からの地主で家主である40代の働き盛りを感じさせる男性は、
「祖父は珍しい物が好きでカメラが趣味だったそうです。だから父の写真をよく撮っていましてね。結構、写真も残っていますよ」
と当時では珍しく貴重な父親と新井が一緒に写っている写真があると言って2人を玄関に招き入れた。家主はアルバムとビスケット缶に入った写真を運んで来ると、祖父は写真の裏に名前を書く習慣があったため新井を知らなくても分かると説明した。
「こっちが父で、こっちが新井さんです」
見せた写真は野球をしていた時のものでグローブにバットを持った2人が写っていた。写真は黄ばみ、小学生なので新井なのかどうかもよく分からなかったが、
「小山部長。この写真、ちょっとおかしくないですか?」
と菅谷が何かに気が付いた。写真に写る新井はグローブを左手にしていたが、グローブは利き手とは反対にはめるものである。グローブが高価な時代なので右利き用を使っていた可能性はあるが菅谷は違和感を払拭できなかった。
「他の写真も見て構いませんか?」
小山は家主に承諾を得ると、ビスケット缶の中から新井の写真を探し始めた。1枚1枚見落としがないようじっくりと確認する菅谷に対して、小山は慣れたように次々と写真の判別を進めていると、
「あったぞ!」
と小山が声を上げたかと思うと、
「おいおい。これはどういうことなんだ!」
と写真を凝視しながら小山の手は少し震えていた。菅谷が写真を覗き込むと右手に箸を持って食事をしている新井が写っていた。成長とともに利き手が変わる可能性はゼロではないが、2人にそんな理屈は関係なかった。それこそ「殺害された新井は別人」とさえ思わせた。
「補佐はこのことを知っていたんでしょうか……」
思わず菅谷は小山を見た。
「あぁ。そう思った時、手が震えたんだよ」
2人は殺害された新井が別人である可能性にも驚いたが、それ以上に自分たちを長野まで捜査に行かせた並木の勘に驚いていた。2人は持参したデジタルカメラで2枚の写真を接写すると家主にお礼を言ってその場をあとにした。そのまますぐに埼玉に戻った2人は写真を見せながら報告した。
並木も被害者が入れ替っていることは想像もしていなかったらしく真に驚きの表情を見せながら、
「戦時中に人が入れ替わった話を聞いたことはあったが、それは疎開の話だからな。こんな話が現実にあるとは思わなかったな……」
右手を顎にあてがいながら並木が言うとそれを覗き込むように浅見は、「入れ替わったとすれば、東京に来た以降ということになるのでしょうか……」
と質問した。
写真に写る新井の面影に被害者と同一人物を思わせるものはなかった。しかし何のために、どのタイミングで誰と入れ替わったのかも分からなければ、可能性が低いと思われていた殺害動機に怨恨の可能性が生まれた。そして何度も繰り返していた転職理由が労働環境ではなく、その事実を隠すためではなかったのかという推理へと一気に傾いた。
「ですが、そんな人間がタクシー運転手に就職するでしょうか?」
菅谷はそんな疑問を口にした。その事実を確認するため小山と菅谷は翌日から過去の職場への再捜査を始めた。
タクシー会社へ転職する前の台東区の町工場へ向かうと町工場は現在マンションに変わっていた。当時の社長は他界し、息子がマンションにオーナー兼住人として住んでいた。息子は、
「事件当時も刑事さんが来て、同じ質問をしていきましたよ」
と説明し、改めて被害者の写真を見て「新井定一」で間違いないと証言した。小山たちはその前に勤務していた町工場、更にはその前の町工場と遡って捜査した。だが履歴書に書かれた前職の町工場以外は実在しても実際に就労していた事実はなかった。この虚偽の履歴がさらに新井定一の謎を深めることになった。
結局2つの町工場で稼働実態がないことが分かり4つ前の町工場へ向かう途中、菅谷は自分なりに考えた新井像について小山に質問するように話を始めた。
「殺された新井は何らかの事件の被疑者だったのでしょうか……。でなければ転職を繰り返して、自分の過去を消したりしないと思うんですよね」
「仮にそうだとしても、指紋で確認しているんじゃないか」
「人定は赤羽交通から聞いて確認ができているので指紋は照会していないと思いますよ。だから私は何らかの被疑者の可能性があると思ったんですよ」
「確認してないことはないだろう」
気になった2人は会議室に戻って確認すると菅谷の言ったとおり指紋で照会した記録は残っていなかった。
「そんなことがあるのか……。タクシー内の指紋を照合する時に関係者指紋として指紋は照会しているのに、何で他の事件で照合しなかったんだろうな……」
関係者指紋とは現場に残された指紋から関係者の指紋を排除するために使用する指紋で、残った指紋から被疑者を特定する。小山はこの事実を知り愕然とした。