第7章「立証の苦悩」-2
当直の取り扱い結果の報告は各課長なども一緒に加わって聞くが、これを「朝会」と呼び各警察署で必ず行っている。朝会では各課の業務連絡も併せて行うため、警察署によっては1時間近くも時間を掛けているところもある。したがっていまだに戻らないことを考えると特命係への指示は朝会が終わってからになり、転用勤務を下命しておきながら後回しにされていることも5人は不満だった。
「ところで人を殺すのに川へ突き落としたりしますかね」
𠮷良は真顔になると4人に見解を尋ねた。すると、
「川に突き落としても死なない可能性がありますから、殺すなら他の方法を選ぶと思いますよ」
「東尋坊のような場所なら分かるが、荒川だからな……」
と最初に菅谷が否定すると小山も否定した。
「私も自殺に見せ掛けるのであれば、他の方法を選びますけどね……」
𠮷良も他殺と考えるには無理があると感じていた。この会議室で導き出された結論からも5人は「面倒臭さ」を強く感じていた時、ようやく並木が戻ってきた。5人は素早く自分の席に座り指示を受ける姿勢を見せたが、会議室に漂う不満の空気は肌で感じるほど酷かった。
「みんなの不満も分かるが、これも立派な仕事だ」
並木も正直不満だったが、責任者として部下たちを扇動することはできない。並木は割り切って事案概要などの説明を始めた。
「司法解剖は本日の午後に予定されている。解剖で肺から水が出れば事件性がないことがはっきりするだろうが、不審点もあるのでそれを潰して欲しいそうだ」
川口中央が捜査したところ死者は植田浩という1961年生まれの男性で、荒川の上流から背広を着たまま流れてきたのを通報人が発見した。
通報があったのは昨日である9月29日の朝方だが、水死体の腐乱状況を考えると死亡したのは数日前で、水中にある流木などに引っかかっていたために発見が遅れたものと考えられた。荒川は27日から28日まで降り続いた雨で水かさが増していた。
水死体を引き上げたところ着衣に乱れはなく傷などなかったものの、遺書など自殺と判断できるものもいまだ発見されていなかった。ただ金品などの貴重品はそのまま所持していたので「自殺、もしくは事故死だろう」という見立てだった。
ただ衝動的な自殺でなければ背広を着たまま入水することはなく、家族に「飲んで帰る」と連絡をしていたことから他殺説が浮上した。そのため自殺を含む事故死と他殺の両面で捜査することが決まった。
具体的には昨日午前9時頃、荒川の土手を散歩していた通報者である男性が、
「川岸に人が浮いている」
との110番通報で警察官が臨場した。頭部に擦過傷があったが、これは入水時にできた傷と思われた。と言うのも死体には死斑がなく、これは水中で死体が回転することによる特徴で死因が水死であることを示唆していた。ただこの現象は殺害直後に死体を流しても同じ現象が起きる。
したがってどこかの橋の欄干(らんかん)から飛び込んだか突き落とされた可能性が高く、上流に架かる橋を川口中央警察署の捜査員らが捜索していた。しかし飛び込んだと思われる場所が特定できないため並木たちが捜査支援に当たることとなり、具体的には会社から出た後の足取りを捜査するよう下命された。
死体所見では自殺か事故死の可能性が高かった。解剖で肺から荒川の水が検出され、睡眠薬や筋肉弛緩剤などの薬物反応がなければ、自殺に落ち着くだろうと自署の捜査員たちも思っていた。だが万が一を考えると、初動捜査を怠れば事件解決の成否に大きな影響を及ぼす。その初動捜査の重要性を改めて5人に説明すると並木は捜査項目の指示を始めた。
「まず会社からの足取りだが小山部長と菅谷部長で、そして佐藤部長と𠮷良部長は荒川に架かる橋の特定を頼む。浅見班長は刑事課との連絡を。以上だが何か質問はあるか?」
指示を終えた並木に佐藤は、
「私たちも橋の捜査をするのですか? それは川口中央が捜査すると聞いたのですが」
とすでに自署員が捜査したことを、なぜ改めて捜査する必要があるのか質問した。そんな質問をしたのは不満が原因であることは明らかで、𠮷良もその気持ちは同じだった。
「刑事課長としては一課員の目でもう一度確認してもらいたいそうだ。それだけ期待されているのだから、我々も期待に応えてきちんと結果を出す必要がある」
並木も5人の気持ちは十分に理解していたが、警察では決まったことが覆ることはない。それを5人が分からないはずもなく、大人として割り切って欲しかった。すでに舵は自殺に傾いていることを考えれば、その決定を少しでも早く確証に導けば良いだけである。そのことに早く気付いて欲しかった。そしてそれくらいの能力がなければ、未解決事件で被疑者に辿り着く捜査などできるはずがないことを分かって欲しかった。