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第4章「施設「太陽の子」」-3

 長男の一馬は結婚した際に戸籍登録をしていたので、除籍後でも居場所はすぐに分かった。だが残念なことに一馬は2年前に癌で他界していた。ただ家族が今も戸籍の住所地で生活しているため、並木はゴールデンウィークの初日となる4月27日にその住所地の函館を訪ねた。
 函館の郊外に建てられた2階建ての一軒家は、白い外壁で玄関先のプランターに花が植えられていた。玄関先が綺麗に片付けられた家には「長谷部」と表札が掲げられ、玄関チャイムを押すと妻と思われる女性が顔を出し、
「東京からわざわざ……」
 と恐縮しながら話を聞かせてくれた。
 一馬は結婚して北海道の函館に転居していた。結婚して娘が産まれ、長距離トラックの運転手をしながら家族を養っていた。妻は結婚前に一馬が施設出身であることを知らされ、結婚式には長谷部夫婦も参列したが、結婚後は交流がなくなっていた。その理由は北海道という場所的問題もあったが、結婚した数年後に長谷部夫妻がそれぞれ他界したことだった。葬儀に参列した一馬は父親代わりだった長谷部邦夫のためにも23回忌まで生きたいというのが口癖だったという。
 結婚式に撮影された長谷部夫婦の写真を見せてもらうと堅実で温厚な人柄がにじみ出ていたが、妻に長谷部夫婦のことを聞いても詳しいことは知らなかった。一馬は長谷部夫婦には深く感謝していたものの、施設時代の話を結婚一年前になって話すほど触れられたくない過去だった。
「一馬さんには施設でできた弟がいるはずなんですが、連絡のやり取りはしているのでしょうか?」
 並木は敢えて弟という言い方をして次男の「健二」、もしくは三男の「勇」のどちらでも話ができるように促したが、
「弟がいることは知っていますが、疎遠になっていて居場所も分かりません」
 と名前すら記憶にないほど絶縁状態だと説明した。
 話によれば弟も自分たちの結婚式に招待したが、元々素行が悪く日雇い労働者のような仕事をしていて、結婚式の日に一馬が、
「父さんも母さんもお前が暴力団の事務所に出入りしているらしいという話を聞いて心配していた。唯一無二の肉親だから何としてやりたいと思っていたが、このままでは俺の家庭が崩壊してしまう。お前が真っ当に生きるつもりがないのであれば、金輪際、俺の前に顔を見せるな!」
 と言ったことが原因で疎遠になっていた。
「一馬さんは『唯一無二の肉親』というのは、弟さんはひとりだけだったのですか?」
「えぇ。夫には施設での弟がひとりいるだけですけど……」
 その弟が「健二」を指すのか、「勇」を指すのか分からないが、弟は「ひとりだけ」だということははっきりした。だがここでも施設にいた子供は2人だけで、その後の行方は分からなかった。そして一番知りたかった「勇」の行方はやはり分からなかった。
 一馬の妻が語った弟が健二で間違いないとは思ったが、健二は勇の行方を知っているのかを確認する必要がある。東京に戻った並木はすぐに健二を訪ねた。
 健二は一馬が結婚して2年後に同じように結婚して戸籍から抜けていた。結婚して都内の足立区に居を構えていたが、今は離婚していた。だが離婚後も2人は転居しておらず住民登録上は今も一緒に生活していることになっていた。並木は戸籍の住所を訪ねるとこの謎はすぐに解けた。
 戸籍にあった住所地は外階段のある2階建て木造アパートで、洗濯機が玄関先にある古いタイプのアパートの1階に住んでいた。玄関チャイムもなく、ドアをノックすると、
「誰だ……」
 という酒焼けした声が聞こえると、ボサボサの髪のままで中年の女性が顔を出した。女性は用件を告げた並木をなめ回すように見た後、
「私が元妻だが、何か用かい?」
 と不機嫌そうに答えた。並木はドアチェーン越しに健二のことを尋ねると、
「あの男は今、どこにいるんだろうね。結婚前は優しくていい人だったけど、お金にだらしなくてね」
 と健二の話を始めた。
 2人は健二が土木関係の仕事をしていた時に働いていたスナックで知り合い、同棲した後に結婚した。ギャンブルと酒、そして女遊びは結婚後も続き、他の女を家に連れ込んだこともあったという。そして結婚して半年も経たないうちに知り合いと名乗る男たちが、
「貸した金を返せ!」
 と訪ねてくるようになり、一時期は警察沙汰にもなっていた。そして気が付けば家に帰ってくることもなくなり、行方不明になってから数年後には戸籍上で離婚措置を取っていた。娘がひとりいるが生まれてから健二の顔を一度も見たことがないという。
「どこに行ったか、心当たりとかはありませんか?」
「どっかで野垂れ死んでいるんじゃないの」
 元妻は皮肉たっぷりに答えるだけで関心はなかった。健二が分かる写真を見せて欲しいと頼んだが、娘が生まれた時にはすべて処分してないという。唯一勇の所在を知る可能性があった健二さえも所在が摑めないと思った時、元妻が重要なことを思い出した。
「随分前だけどさぁ。刑事が来たことがあんだよ」
「警察ですか?」
「詳しいことは刑事も言わなかったけど、どこかで事件でも起こしたんじゃないのかね」
「どこの警察署だったか、覚えていますか?」
「それはあんたが調べた方が早いだろう」
 何が気に入らなかったのか急に態度が凶変し、それ以上何を聞いても、
「これ以上話すことはないから、帰ってくれよ」
 と質問に応じなかった。だが最低限のことは聞けたので頭を下げて早々にその場から立ち去った。
 並木は休み明けの5月7日、健二が犯罪者として手配されているか、また逮捕されているかを確認したが、手配や逮捕された記録はなかった。ではなぜ警察が訪ねてきたのかは謎のまま残ったが、はっきりしたことは公的な資料の中で「勇」の所在を知り得るのは「健二」だけで、その健二も知っている可能性は皆無に近いと思われた。
 もちろん県警のOBであれば知る者がいても不思議ではない。だが当時幹部だった者の年齢を考えれば生存している可能性は低い。従って「勇」の所在を知る者は本当の預け先になった関係者のみだと思われた。並木はそれを確認するために大野を呼び出した。
 その週の週末の5月10日、四谷にある「ふく鶴」という鳥料理と季節の味が楽しめる店で大野と待ち合わせた。地酒を飲みながら料理を味わうことができる店で、店内に入ると右側にカウンターがありそのカウンター席に座りながら日本酒でお造りを楽しみながら大野を待った。
 大野は遅れることなく約束の時間に現れると、最初は生ビールで乾杯した。
「例の件か?」
 大野は呼び出された理由が調査の依頼だと思っていたが、秩父での結果を聞かされて驚いた。当初は「なぜ俺に話すのだろう」という疑問を感じたが、意識してもらえたことは何よりも嬉しかった。
「預けられていなかったのか……」
 大野は驚くというよりは考え込むような仕草を見せた。それを見た並木は警察庁が本当に勇を「太陽の子」に預けたのを信じていたと確信した。そして同時に警察庁さえも欺いていたことに驚かされた。
 大野は生ビールを飲み終えてお猪口を注文した後、自分と並木に酒を注すと、
「社会人になれば住民票を移さずに好きな場所で生活しているような奴はいくらでもいるが、子供だろう。会社に入社したり、それこそ小学校も入学できないんじゃないか?」
 と戸籍が今も養子縁組のまま残っていることに驚きと疑問を感じていた。
「確かにそこは言う通りで、この日本で戸籍がなく子供を育てるなど不可能だと思うんだが」
「高樹勇はどこかで生きているのか、死んでいるのかも分からないということだろう。まるで幽霊のような存在ってことになるが、一体高樹勇はどこへ消えたんだ?」
「さあ、それを知る者は本人だけじゃないか?」
「だって子供だぞ!」
 大野は少し興奮して声を荒げた。それを恥ずかしく思ったのか、一度大きく深呼吸すると、
「これからどうするつもりだ? 子供を探すのか?」
 と並木の目を見ながら尋ねた。特に協力するつもりもなかったが、落とし処をどう考えているのかは聞きたかった。
「本当に内ゲバだったのかは気になるが、時効になった事件だ。しかも担当ではないからな」
 自分自身で区切りを付けたような言い方をした並木の言葉を、そのまま鵜呑みにすべきか悩むところではあった。だが下手な詮索は痛くもない腹を探られる。そう思った大野はこれ以上触れないことにした。
「ところで前に話していた部下の話はどうなったんだ」
「あぁ、あの話か。アドバイスは役に立ったよ。結局は俺が責任者だからな」
 そう言うと大野のお猪口に酒を注いだ。大野は具体的な話を聞きたかったが並木の感謝する笑顔に、それ以上の話を聞くことはできなかった。だが大野は捜査第一課に戻ってからの並木はさらに孤独感が増したような気がしてならなかった。

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