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第3章「被害者の過去」-1

 出来ることに全力を尽くす。それは物事をなし遂げるための基本である。しかしどのような方法を選択するかが常に重要な鍵となる。捜査を尽くした未解決事件に対して新たな捜査項目を思考することは、すべての未解決事件で共通する難題だった。
 並木が着任して1週間が過ぎた3月19日、改めて浅見、小山、佐藤、𠮷良、そして菅谷の5人の顔を1人ずつ見渡した後、
「この事件に関してなんだが、何か意見があれば聞かせてもらいたい」
 と今後の捜査方針に関する意見を求めた。5人はその趣旨を理解していたが、改めて問われると不満を口にはできなかった。思うところはあってもやはり立場が答えを忖度する。「捜査は無駄の積み重ね」であることは理解していても、光明の見えない事件は否定的にならざるを得なかった。
 半年捜査をして再捜査の必要性を感じる捜査項目もあったが、誰もが指摘して結果が出なかった時の自分の立場を考えていた。そのため飯場は水を打ったように静まり返り、最初に口火を切るにはあまりにも重すぎる空気が漂っていた。
 そんな雰囲気の中で並木は発言を促すこともせず、目だけを動かして5人を順番に追っていた。並木は感じたこと、やりたいことこそが個々を成長させるという考えがあった。それは主体性であり指示・命令されて捜査している無気力な捜査官に未解決事件の解決など不可能だと思っていた。そしてそんな指示待ち捜査官ばかりが増えたことが未解決事件を生み出す要因であるとも思っていた。
 そして最大の問題はこの事件に対してやる気を喪失していることだった。どんな戦略を構築してもそれを実行する捜査官にやる気がなければ、どんな戦略を立てても結果など出るはずがない。それを知っていた並木は捜査官の意識改革が最優先だと感じていた。だがどれだけ待っていても発言しようとする者はいなかった。並木は信念を曲げたくはなかったが「上司としてではなく、いち捜査員としての意見」と前置きした上で、
「では私が思っていることを最初に話そうと思う」
 と口火を切った。並木は語りかけるように売上げ金は持って行ったが運転手の財布には手を付けなかったことや警察犬がアパートで追跡をやめたことを上げて、
「こんな基礎的な疑問で構わないから意見を聞かせてくれ」
 とひとりひとりの顔を見ながら改めて意見を求めた。
「では、よろしいでしょうか……。私は殺害方法に特徴があると思っています」
 並木に触発されて佐藤が手を上げて意見を述べると続いて𠮷良が、
「当時の捜査が不十分だったと感じた点でもいいでしょうか?」
 と質問した。𠮷良の言葉は広範な意見が交わされる兆しを感じさせたが、当時の捜査に対する批判となる話はできるだけ避けたかった。だが被害者や被害家族の心情を思えば未解決という責任は重く、非難さえも甘受すべきであった。そして唯一の捜査機関として国民の負託を受けた警察がこの義務に応えられなかったことは責められて当然であった。
 だが𠮷良の思いは別のところにあった。𠮷良は捜査責任者らが左遷させられることもなく、出世の人事がまかり通っていることに義憤(ぎふん)を感じていた。つまり事件の解決に関係なく幹部人事が平然と行われていることが𠮷良は許せなかった。したがって身内をかばっていては建設的な意見など出るはずがないと口にした。
「何かが足らないか、何かを見落としているから未解決事件になっているんだろう」
 浅見は𠮷良の話に一定の理解を示しながらも、この場を批判と不満のはけ口にするべきではないと語気を強めて指摘した。浅見も幹部の指揮能力に対する不満はあったが、並木が建設的な意見を求めているのを理解していたので軌道修正を図ろうとした。
 浅見は刑事ドラマに憧れて刑事になったひとりだった。悪い奴らを捕まえる理想に燃えていたが現実は全く違っていた。事件が解決しなくても人事異動で捜査員は入れ替わり、捜査体制はどんどん縮小していく。浅見は警部補という肩書きよりも捜査員でいたいと頑張っているが、組織というヒエラルキーの中でしか動けない現実を痛感していた。そんな浅見の気持ちを汲むように小山が、
「悪い奴を絶対に捕まえるからこそ国民は協力するのであって、警察だから協力するわけじゃないと俺は教わった。でも最近は刑事をやっていて『これが刑事の仕事なのか』と思う機会が増えましたよ」
 と憮然とした言い方をしたことがあった。浅見はその言葉に救われ、この仲間たちと未解決事件を1つでも減らしたいと心に誓っていた。
 浅見の言葉を受けて𠮷良は自らの発言を仕切り直すかのように、
「バイアスというのか、先入観というのか分かりませんけど、『これは捜査した』と思うとそれで終わっちゃうと思うんです。いい加減な捜査をしていたとは思っていませんが、無駄になっても自分たちの目と耳で改めて捜査すべきだと私は感じていました」
 と意見を述べた。この言葉に並木も他の者たちも賛同の意を表すように頷き、
「私も𠮷良部長と同じです。もう一度事件をゼロから見直すつもりで捜査した方がいいと思います」
 と菅谷が強く𠮷良の意見を後押しした。並木はこの言葉を待っていたかのように満足そうな表情をしながら腕を組んだものの、黙ったまま他の捜査員から意見が出るのを待っていた。その空気を敏感に読み取った浅見はここが勝負所だと感じると突然立ち上がり、
「私は補佐が疑問に思ったことから先に潰した方が良いと思います。それは上司の命令で動くというのではなく、この事件を解決するには補佐の着眼点が突破口になると、私たちは信じています」
 とたたみ掛けた。並木は組んでいた腕をゆっくり解きながら両肘を机に付け両手を顔の前で組むと、
「分かった。早急に捜査記録に目を通して捜査項目を決める。決まり次第みんなに振るので潰しの捜査をしてもらうが、疑問があれば遠慮なく意見を言ってくれ」
 と言って話をまとめた。捜査会議が終わったものと思い誰もが立ち上がろうとした時に小山が、
「補佐。方針は分かったんですが、この事件をどう見ているのか聞かせてもらえますか?」
 と質問した。小山は小料理屋で並木が事件をどう見ているのかを聞いていたが、その話は自分以外の者たちにも並木の口から伝えるべきだと感じていた。
 だが並木はその趣旨が一瞬分からず小山を見ると、大きく2度頷いたのを見てその趣旨を理解した。少し面倒にも思ったが小山が舞台を作ったことを考えれば無碍にあしらうこともできず、
「私見になるがこの事件は物盗りが目的ではなく、殺人そのものが目的だったと思っている。だが被疑者はサイコパスのような殺人鬼ではなく、非常に頭のいい奴で殺人という犯罪を通じて警察に挑戦したのではないかと思っている」
 と想像もしていなかった衝撃的な視点に誰もが驚愕した。機会を演出した小山もそこまで踏み込んだ話を聞いていなかっただけに驚いた。この反応に「正しく理解しているのだろうか」という不安が過ぎっているとすぐに菅谷が、
「私は運転手に対する怨恨の可能性もあると思っているのですが、その点はどうでしょうか?」
 と並木とは異なる意見を自信なさそうに話した。これを好機と見た並木は満足そうに頷くと、
「良い質問だ。極端に言えばその可能性もあると思っている。この事件は偶然ではなくすべてが必然で、だから目撃者もいるようでいないし、証拠品もあるようでないのだと思っている。つまりすべて緻密に計算されていることから、ある意味では『完全犯罪』だと思っている」
 と言葉を換えて説明した。並木はこの事件の本質には指揮能力を上回る被疑者の狡猾な人間性があると感じていた。だがこの説明に異議を唱えるように浅見は、
「補佐とは少し違いますが、私は偶然に偶然が重なったくらいでは未解決にならないと思っています。つまり見落としもなく初動捜査にも問題がないとしたら、どんな計算高い被疑者でも捕まっていると思います。そんな意味では捜査を1からやり直すのは賛成です」
 と上司との意見の食い違いに少し緊張しながらもはっきりと意見を口にした。浅見は未解決事件に至った原因は初動捜査の失敗にあると思っていた。初動捜査は最も重要な捜査の1つでその成否により事件解決の可能性は大きく左右する。犯行現場には捜査方針を決定する多くの証拠や痕跡が残されていることから思い込みによって失敗した事件は少なくない。
 特に暗君のような捜査幹部による思い込み捜査に誰も意見具申できず、暴走列車のように捜査が突き進むのがヒエラルキーの有する悪性である。そしてそれに気付いて元に戻そうとしても一度下がった士気はそう簡単に上がることはない。その意味では並木の発言も私見ではあっても大いにその危険性を孕んでいたのも事実だった。
「つまり全員が1から再捜査するのは賛成ということになりますが、今具体的に再捜査を考えているのは何ですか?」
 小山はベテランとして潮時を理解し、それが自分の役割であることも知っていた。小山はタイミングを見計らったようにこの議論が小田原評定にならないよう話題を捜査方針に戻した。
「まずは殺害方法と逃走方法の2つに関して捜査を始めようと思っている」
 並木はそう言うとすでに考えていた具体的な捜査内容と担当者を指示すると、会議室の空気は一瞬にして緊張感が漂った。
 捜査は2名1組の2班に分かれて、殺害方法は最初に疑問を口にした佐藤と𠮷良が、逃走方法については小山と菅谷が担当し、浅見はそれぞれの班を支援するよう指示した。指示された4人は各班に分かれて、受けた指示をどのように捜査するのか検討を始めた。


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本郷矢吹
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