悪評もまた評なり
Column~№5
「悪法もまた法なり」とは古代ギリシャ・ソクラテスが残した言葉だと言われる。これは悪法であってもそれが法律である以上、法律は法律として守らなければならないという意味である。
この言葉が転じて「悪評もまた評である」という言葉を耳にしたことがあると思う。私もそうであるが芸人や歌手、俳優など知名度を商売にしている者にとっては、全く無名であり続けるよりも少しでも認知されたいと思うことが度々ある。だがそんな時代は終わったと私は思っている。
8月7日に日本バレーボール協会は川合俊一会長名で声明を発表し、パリオリンピックの代表選手に対して中傷誹謗があったことを明らかにした。中傷誹謗は暴力的なコメントや本人の尊厳を傷付けるような内容だったとされるが、川合会長の対応は非常に素晴らしいと感銘した。やはり協会として、また会長として中傷誹謗に対してきちんとメッセージを発することは重要である。
私はご本人にお会いしたことはないが、会長は選手と同じくらい今回の結果に悔しさを感じ、また誰よりも選手に称賛の拍手を送ったに違いない。それはご本人が代表選手として活躍されていたからこそ選手の気持ちを理解でき、そして会長として役割を果たされたのだと思う。おそらく「こんな人が自分の上司だったら」と思った方は少なくないだろう。
勝負事は勝たなければ意味がなく「参加することに意義がある」などと思っている選手は誰もいないだろう。だが日本の代表選手としてオリンピックという舞台に立つこと自体、称賛に値するものであり、その舞台で勇気と希望を与えてくれた選手を讃えられない人がいるのは非常に残念でならない。
物事に賛否両論があるのは常であるが、2020年5月にテレビドラマの出演によって女性プロレスラーが命を絶つことになった事件をその方たちは記憶にないのだろうか。彼女の悲痛な思いは単にテレビ局だけが負えば良いものではないと思う。心ない書き込みが人を傷付けたことを教訓にしていないのは彼女に対する冒涜だと考える。
だが世の中は綺麗事ばかりでは終わらないのも事実だと思う。しかし思い出して欲しい。一生懸命に頑張った自分が失敗した時、沈んだ心を救ってくれたのは励ましの言葉だったのではないだろうか。私は自分がそんな言葉を掛ける立場になった時「お疲れさん」「頑張ったな」と声を掛けた。もちろん最初は「何をやってんだ」と思ったこともあった。しかしそんな言葉を言えるようになった自分の成長に私自身が驚いた。その時に感じたのは怒りの感情に任せず、そんな寛容な気持ちを持てる自分の成長が大事だということだった。