見出し画像

第8章「暗号の人物」-4

 並木はで3つの口座番号の合計6文字を当て嵌めた。すると「皆・警・夫・県・雅・川」になった。ここまでくればこの暗号の意味が「県警皆川雅夫」を指していることはすぐに分かった。暗号は解いてしまえば「こんなものか」と感じるが、並木は思った以上に苦戦した思いを感じていた。
 並木は謎が解けたことへの満足感に浸りながらも、小沼にどう説明するかを考えていた。おそらく小沼は暗号のことを聞いてくる。だが解いた答えを伝えることなどできるはずがない。しかし下手な嘘が通用しないのが小沼である。そして最も悩ませたのが並木の中で2人の関係を壊したくないという気持ちが強く芽生えていたことだった。
 並木は「皆川雅夫」という人物を微かに記憶していた。すぐには思い出せなかったがどこかで見聞きした名前なのは間違いなかった。解いた暗号の名前を前に置きながら腕を組んで目を閉じると記憶を辿った。そしてしばらく考えると、どこかの警察署の署長室で「皆川雅夫」という名前を見たことを思い出した。つまり「皆川雅夫」はどこかの警察署の署長だった。
 皆川が内ゲバ事件とどのような関係にあるのか。そしてこの人物に接触すべきなのか。並木はキーマンであると感じながらもどう対応すべきなのか迷っていた。ただそれと併行して考えたのは時間だった。
 事件から30年が過ぎた今、皆川は存命なのか、死んでいるのか。そして存命であれば先のない人生から真実を語ってくれる可能性を期待する一方で、墓場まで持って行く覚悟もあると考えた。ただ1つ言えることは警察官であることを考えれば、殺害に関与したとは思えなかった。
 並木は皆川雅夫の周辺捜査を始めることにした。
「並木補佐。至急署長室まで来てもらえるか!」
 国会図書館を訪れた翌日の朝は刑事課長の少し高い声の焦った早口言葉から始まった。何か異変があったのは明らかだったが、それが何であるかは並木にも想像できなかった。並木は急いで署長室に向かうと想像以上に深刻な事態であることは署長室に入った瞬間その雰囲気で理解できた。
 署長室は20畳程度の広さで奥に署長用の机が置かれ手前には応接用のソファがあり、そこに誕生日席のように署長用のソファが1つ置かれている。そのソファに署長が、その右側に副署長と刑事課長が座るとその後に来客用のソファに並木が腰掛けた。
 テーブルの中央に呼び出された理由になった、
「川口中央警察署の刑事さんへ」
 と宛名の書かれた便せんが置かれていた。便せんの消印は都内北区の赤羽郵便局のもので、今度は都内のポストから投函されたことを示していた。
「並木補佐も来たので開封するか? それとも先に鑑識活動を終わらせるか?」
 署長はそう言うと並木を見て意見を求めた。基本は鑑識活動が何よりも優先されるが、前回の結果を踏まえれば指紋を採取できる可能性は低い。署長の質問はそんな考えからの判断だと思われた。
「とりあえず鑑識作業を優先していただいた方が良いと思います」
 並木は基本通りの手順に従った取り扱いを進言した。
 鑑識作業をするにしても開封する必要がある。そして手紙など紙から指紋を採取するにはニンヒドリンを使う。具体的にはニンヒドリンのアセント溶液に被検出体を付けることにより指紋が紫色に浮き出るのだが、その前に被検出体の写真を撮影して証拠保全を図る必要がある。署長立ち会いの下、指紋が付かないよう鑑識が丁寧に開封した。
 そして中に入った便せんを取り出すとその場にいた全員が口を揃えるように、
「何だ、この手紙は……」
 と啞然とした。最初に送られてきた手紙は雑誌などの切り抜きで文字が作られていたが、今回は宛名も、そして中の便せんも筆跡が特定できないようにしながらボールペンで、
「0341 0106 0352 4545 
 無血による新たな被害者
 諸越列子」
 と書かれていた。
「どう言う意味だ、これは……」
 最初に声を上げたのは署長だった。他の者は気を遣って声を出さなかっただけで、感じたことは同じだった。次に副署長が、
「『新たな被害者』って、これは次の殺人予告を意味するのでしょうか?」
 と声を殺すように少し震えながら便せんに書かれた内容を指摘した。
「そういう意味になるんだろうな」
 署長は副署長の言葉をなぞるように言ったが、署長の表情は被疑者を挑発するような新聞の掲載内容が大失敗だったことと、それに対する後悔の気持ちが表れていた。そんな表情で署長は並木を見たが、並木は一言も発せず黙って手紙に集中した。

いいなと思ったら応援しよう!

本郷矢吹
 みなさんのサポートが活動の支えとなり、また活動を続けることができますので、どうぞよろしくお願いいたします!