警察の処分は何をではなく、「誰が」で決めているのか?
Column~№3
7月26日に広島県警の警部が不倫相手に情報漏洩したとして地方公務員法違反の疑いで書類送検されたという記事を目にした。この警部は減給3ヵ月の懲戒処分を受け、自ら降格処分を申し出たとされる。
だが7月11日には埼玉県警の巡査部長が同じ情報漏洩をして地方公務員法違反で逮捕されている。この巡査部長は実名が公表され、自宅の居住市までも新聞には掲載された。同じ情報漏洩でありながらこの違いは何なのだろうかと私は違和感を覚える。
例えば刃物を持って押し入っても強盗だし、万引きをして逃げる時に店員を突き飛ばしても強盗だ。正確には後者は事後強盗となるが、同じ強盗でも法益の侵害の重大性や被害者の処罰意志によって刑の軽重も異なる。しかし2つの情報漏洩事件が被害の程度や法益の侵害の軽重を基準にして、本当に異なった処分に至ったのであろうか。
警察を含む公務員は「懲戒処分の指針」という基準に基づいて懲戒処分が行われる。これによれば警察官が万引きしても懲戒免職にはならない。だが警察官という立場であるため依願退職するが、この依願退職も起訴を脅された結果である。公務員は起訴されて執行猶予付きの判決に至れば失職する。
つまり起訴されたら退職金がなくなるので依願退職を選択している。これが一種の社会的制裁を受けたことになり、起訴が見送られる。だがこんな取引きがなくても警察官が万引きをしたのであれば、依願退職ではなく懲戒解雇でも良いとさえ思う。
処分の軽重は本来、犯した行為で判断されるが、私は「誰が」処分権者なのかによって処分の軽重が違うと思うこともある。そしてそれ以上に「誰がやったのか」で対応や処分が異なるように思っている。そこには「誰かが責任を負わなければ事態が収まらない」という考え方が根底にあり、そして組織への影響を考えて処分が行われているのではないかと思う。
不適切な行為を警察では非違事案と呼ぶが、これには必ず監督責任が伴う。簡単に言えば行為者の上司が責任を負うのだが、幹部が非違事案を起こせば署長などの責任者がその責を負うことになる。それを避けるために事案を小さくまとめているように思える事案もある。
監督責任も全事案が対象となるわけではないが、この責任の負い方であるTVアニメにおいて「上司が部下の責任を負うのは部下に責任を押し付けないようにするためであって、誰かに責任を押し付けるものではない」というセリフを聞いたことがある。
幹部にも家庭があり、部下の責任をすべて負っていたらキリがないのも事実であろうが、責任を口にする者が責任を負わずにいる見苦しい場面を多々目にする。私は責任という言葉はそれを自らが負うことのできる者が使うべきであり、部下に負わせるような人間は軽々しく口にすべきではないと思っている。