見出し画像

第8章「暗号の人物」-1

 10月最初の金曜日である4日に並木は自宅で小沼と一緒に過ごしていた。2人は互いに男女的な感情よりも独特な感性による癒やしと知的な会話を求めていた。親友の鈴木や大野でも知的な会話を楽しむことはできるが、東京大学医学部という日本屈指の学歴は伊達ではなかった。だが一番癒やされたのは小沼の天然な一面で、それすら計算していると思わせる魅力があった。
また人の表情を見抜く感覚は一目置くだけでなくどんな噓も見抜く気がしたため、自然と素直でいられる自分がどこか心地良く感じていた。お互いに楽しい時間を過ごせるパートナーを得たが、他人から見れば2人の付き合いは少し異端に思える点もあった。
「これ、何だか分かるか?」
 並木が小沼に見せたものは、
 0032 104 13788×××
 と数字が並んだメモで、この数字は内ゲバ事件の口座番号だった。小沼にはメモの内容を告げていなかったがメモを見るなり並木を見ると、
「この口座番号がどうかしたの?」
 と一瞬にして言い当てた。その早さも凄かったが、何よりも驚かされたのは思考ではなく感覚で捉えていたことだった。
「凄いな。何で分かった!」
 並木は驚きを口にせずにはいられず、一方の小沼は年甲斐もなくお茶目に舌を少し出しながら、
「驚いたでしょ。私って数字には自信があるんだよね。最初の0032が銀行番号、次が店舗番号、そして最後が口座番号なのは知っているでしょ? 基本的に8桁の数字は口座番号以外ないの。製造番号とかはアルファベットが入るから、それで!」
 と解説までやってのけた。この完璧な回答にはさすがの並木も舌を巻く思いだった。並木としては何かヒントになる話でも出ればいいと軽い気持ちで考えていたが、ここまで能力を見せつけられると協力してもらいたいという欲が出た。
 すべてを話すことはできないが、下手に噓を言えば直ぐに見破られる。そんな思いもあって並木はある意味ストレートに、
「暗号じゃないけど、この数字を文字にする方法ってどんなのがあると思う?」
 と質問した。小沼は考えることもせず即答した。
「このまま文字に変換するのは不可能で、絶対に換字表が必要だと思う。それにこの数字には規則性がないからね……。ところで義光君はこの答えを知っているの?」
「実は俺も答えを知りたくてね。文乃なら分かるんじゃないかと思ったんだが……」
「義光君が解けない問題を、私が解けるわけがないじゃない!」
 小沼はニコニコ微笑みながら戯けたが、もう一度数字を見直した時の表情はさらに真剣な度合いを増していた。それは言葉にも表れ、言い方も真剣そのものだった。
「義光君。JIS規格は調べたんでしょ。ただ最初に00っていう数字を使うことはないから、銀行コードは意味がない。店舗番号は3桁だから使わないとは言い切れないけど、口座番号の8桁が3種類あるから、私ならこれで暗号を作っちゃうけど」
「使うのは口座番号だけだと思うか?」
「それは作成者の思考的判断だから断言はできないけど、例えば13788×××を1378と8×××に分けるとどうなるんだ……。JIS規格には合うけど……」
 小沼がJIS規格の言葉を口にした時に並木が、
「実は俺もJIS規格を考えたんだが、基本的にはアルファベットと数字で換字が構成されているから文字にはならなかったんだよ」
 と口を挟むと小沼は並木をじっと見つめた。
「そうだよね。やっぱり義光君が分からなかったことは、私には分からないよな」
 そう言うと険しい表情を急に緩めた。小沼は少しでも役に立ちたい気持ちはあった。だが夢中になると周囲が見えなくなるので、自らのめり込まないように諦めた。しかし並木は小沼の閃きとセンスに「もしかすると」という期待を抱かずにはいられず話を続けた。
「俺もJIS規格のような何か基準となる換字一覧がないと無理だと思うんだよ。それに文乃も4桁で文字が構成されていると思ったわけだろう。それを考えるとJIS規格のようなもので換字できるものを探さないとだよな……」
 並木が話題を変えずに数字の話を続けたので、小沼はもう一度数字を見つめると何度か首を傾けた。最初のように直感的な思考ではなく、今度はゆっくり思考してしばらく何もしゃべらなかった。しかし何か閃いたのか何度か頷いた後、ゆっくりと微笑みながら並木の顔を見た。
「1378。これを『1378』と考えるか、『13と78』と考えるかなんだけど、  偶数ではなくて奇数、つまり『137と8』に分けて考えたらどうかな。ただ137は数字が大きいから『13と7』にして、最終的には『13と7と8』というのはどうだろう。これだと本のページと行、文字数という正に暗号にはピッタリだと思うんだけど」
 並木は換字となり得るものを期待していたが小沼は数字の配列に焦点を当てていた。並木は本やネットなどで解読方法を検索したので一定の知識はあった。そんな並木に対して小沼はこの数分で並木が約2週間かけて思考したことを次々と口にした。

いいなと思ったら応援しよう!

本郷矢吹
 みなさんのサポートが活動の支えとなり、また活動を続けることができますので、どうぞよろしくお願いいたします!