それは小さな光のような―酸欠少女さユりという存在―
彼女を知ったのは2015年8月だった。とても珍しい出会い方だった。チケット販売サイトからきたEメールだった。おすすめライブを紹介する旨のものだが、「酸欠少女さユり」という名前が妙に気になったのだ。
すぐにYouTubeで調べMVを観て、なんとなく惹かれ、気がついたらライブチケットを購入していた。その衝動的な行動は自分の人生にとって正解だった。この求道心は、いらないものが多すぎる自分の中でも大事にしたい。
そのライブを楽しみにしていたが、先んじてインストアライブがあった。偶々、予定を合わせられたので観に行った。
メジャーデビュー曲『ミカヅキ』。生き辛さを感じながら、たしかに「ここで生きてる」ことを現すような歌詞。弱さを見せながらも強さを感じる声。共感と感動を呼び、刺された。
ライブを体感して、歪んだ世界で生きるために歌っている彼女に、一直線でファンになった。
続けて、衝動的にチケット買ったライブも観に行った。二度のライブで完全に心掴まれた。CDを購入し、サインと握手をしてもらえることになった。その時、
「今日、何食べました?」さユりからの質問だった。ファーストコンタクトがそれだ変わった子だ。違う意味で衝撃を覚えた。何食ったか答えるより面食らった。さユりはMCもそうだが、あれだけ凄い歌詞を書くのに、話をはじめると変わっていることがわかる。自宅のベランダに鳥のフンが落ちていた話をしてどうしたいのか?
だが、その時の表情などは、俺が一生覚えているだろう光景だった。今でもスローモーションで思い出す。
それから2週間ぐらい後だろうか。また、さユりのライブを観る機会があった。ベルリン少女ハート(ベルハー)、魔法少女になり隊、酸欠少女さユりの「少女しばりスリーマン」だった。
当時、ベルハーのライブをよく観ていた自分としてはこの対バンは嬉しかった。Twitterではしゃいでいたら、それをみたベルハーのヲタちゃんが来てくれた。
開場は、ベルハー目当てが多数。さユりはトッパーだった。アウェイである。周りのヲタクに「俺のおすすめの子なんですよ〜。」など軽口叩いて開演を待っていた。
一曲目は『るーららるーらーるーららるーらー』。
ベルハー目当てのヲタク共は度肝を抜かれた。いや、俺自身が一番度肝抜かれたかも知れない。華奢な身体のどこからそんなパワーがでているのか?そんなエネルギーを感じていた。『世界が変わった音がした』。
ベルハーのライブも生きてる実感はあった。自分の全てを覆うように。一度解散したが、今は別のメンバーで再結成して活動している。是非観てほしい。
さユりは違った角度で刺さる。心の臓を掴むような。
一ヶ月に三回のライブを観て、すっかりさユりの虜になっていた。それからも、機会があればライブを観に行った。
インストアライブは、回を重ねるごとに客が増え、人の頭を観に行くぐらいの人数になった。CD購入特典のライブ入場優先券が枯れる程に。
「他の特典は付きますよ?」「そうじゃねえ、ライブ観たいんだ。」当時の店員さんとのやりとり。それほどにさユりの歌に恋い焦がれていた。否、さユりがライブで魅せるライフ(生きている)という実感に恋い焦がれていたのかもしれない。喉が渇いたら水を欲するように、息苦しければ酸素を欲するように、生き苦しければ酸欠少女さユりの音楽を欲した。直に、直に。
良いことばかりじゃなく。悪い方に公転するのも人生。さユりだけではなく、全ての業界に影響することが起きた。新型コロナウイルスだ。
未知のウイルスに、緊急事態宣言に、国民全てが「酸欠」になった。生き辛い浮世に。
アーティストなんざ、娯楽のひとつでしかなくて、必要最低限の生活からは除外されるようなものだった。そればかりか、ライブハウスで感染したからという理由で、叩かれる存在になってしまった。
俺達にとっては生きるために絶対に必要な存在なのに。
苦しかった。そんな中、さユりの弾き語りアルバムが発売された。今までリリースされた音源の弾き語りバージョン。また違った感覚でさユりの音楽が聴けた。
コロナ禍を生き抜くための絶対に必要な1枚だった。何度も何度も何度も何度も何度も何度も聴いた。
このアルバムが無かったら、今の俺はいなかったと思う。感謝しかない。
2022年、延期となっていた(と思う)このアルバムのツアーが行われた。東京は売り切れていたので、名古屋のチケットを買った。夜勤明けからの弾丸ツアー、酸欠少女さユりの弾き語りライブを観るためだけに名古屋に行った。
久しぶりに観たが、すごく良いライブだった。どことなく雰囲気が柔らかくなっていた。多幸感を得て、帰京した。
まさか、これが生で観る最後のライブになるとは思ってなかった。この文章書くまでは。
仕事の昼休憩、Twitterを開いた。さユりに関するお知らせというのが目に入る。病気療養中であることは知っていた。何か良くないことだろうか。
…
…
永眠の知らせだった。わけがわからなかった。
まだ若いのに、結婚されたばっかりなのに、まだライブ観たいのに…色々な感情がぐるって廻ってそれでもわけがわからなかった。さユりの、声も、命も、もう奪われた世界、かみさまは何を考えているのか…!「来世で会おう」なんて思えない、ねえ、どこへ行くの?いかないでよ。巨大な巨大な不安と戦ってやっと出会えたんだ…失いたくない…!
現実を受け止められないでいる。おそらくこの先も。
SNSで、眠りについたさユりに対しての反応をみた。
驚きと悲しみと、思い出と…。好きだった楽曲名を挙げる人もいた。それを見るたびに脳内に曲が流れた。
俺は、さユりの眼が好きだった。真っすぐで鋭く、強く…それでいて優しい。あれだけ美しい眼をする人がいない世界になったことが、恐ろしいほどに悲しい。
酸欠少女さユり、
あなたの瞳は美しい。