【小説】乙女ゲーム世界のポテサラに転生してしまった
「ほら、ここの漢字も間違ってる。パソコンの漢字変換に頼って入力し過ぎなんだよお前は。」
俺は、他に誰もいないオフィスで、テレビ会議用のカメラにそう言い放った。
後輩の書いてきた始末書の内容は、穏当な表現で言っても、とてもとても雑な出来だった。句読点は変なとこに入っているし、誤字脱字のオンパレードだ。
とてもじゃないが、こんなものをそのまま承認して上に提出した日には、中間管理職の俺が大目玉を喰らうのは間違いない。
例えばこれが去年ならば、膝を突き合わせて冗談を交えつつ、説教しながら修正させるところなのだが、コロナ禍の今、対面でそれをするわけにはいかない。
そこで何故か俺は、深夜の会社のフロアで独り始末書を添削しつつ、肝心の後輩の方はといえば、テレビ会議で自宅から呑気に俺の添削を待っている状態というわけだ。どうしてこうなった。
翌朝には上司のメールボックスにこの始末書が届いていないと、非常にまずいことになる。つまりもう今夜が山なのだ。
────何故か始末書は遠大だった。荷物の宛先を間違えただけの事故で、どうして20,000字も始末書を書けるのか。
或る意味、これはこれで才能なのか?
いや、その殆どがくどい言い訳と、怪しい誤字脱字に満ち満ちているので、悲しいかな俺が片っ端から赤入れしていかないといけない。
中でも、この後輩の漢字の間違いは致命的だ。
恐らくは、読みが一緒なら、誤っていても躊躇なく誤った熟語を使用しているに違いない。音読すると間違ってない文も確かにあるが、書いてある文書を読むと滅茶苦茶だ。これが韓国ならいざしらず、ここは日本だ。読みがあってれば良いというわけにはいくまい。
俺は手を止めずに修正を入れていく、俺の叩くキーボードの音が、誰もいないフロアにひたすら響き続けている。作業共有しているモニターの画面を、果たして、当の後輩君は真面目に見てくれているのかどうかも怪しい。
────終わらない。
1時間ほどかけて、半分ほど修正を終えたところで、俺たちは小休止を取ることにした。おっさんの身には適度な休憩が必要だ。
後輩くんは画面観ながら説教されてるだけなので、ある意味楽だろうが、こっちは全文をチェックしている。しかも何故か俺だけオフィスで。
長年の社畜生活で鍛えられてきた集中力も、流石に削れてきた。
フロアの無粋な壁掛け時計の針は、とっくにてっぺんを回っていて、普段ならもう家でつまみをかじりながら、ビールでも呑んでいる時間だ。
つらい・・
─────どすっ。
激しい衝撃と、にぶい音で俺の意識は覚醒した。
唐突だが、俺は今、自動車に轢かれた。たぶん。
ついさっきまで会社の机の上で、40,000字に及ぶ部下の始末書を赤入れしていたはずなのだが、確かに俺は今、タクシーに跳ねられ、錐揉み状態で、空中をスピンしながら、この独白をしている。
その後、俺は変な角度で頭から地面に着地した直後、ご丁寧に対向車線の車にも轢かれたのも、なんとなく覚えている。記憶力はいい方だ。あの白いセルシオ、覚えてろよ。
そして今、道路にいたはずの俺は何故か台所にいて、ものすごい美女に見つめられている。
「中村さん。あなたは今、死にました。」
言った。あっさり言い切ったよ、この人。まあなんとなく予想はしてたけど・・
「あ、はい。知ってます。多分、そんなことではないかと思ってたところです。」
ここは、変に抗っても得はしないだろう。まあ相手も美女だし、まずは素直に言うことを聞いてみよう。
「ではもうわかりますね。私は転生の女神です。チート能力を付けて異世界に転生させてあげますので、なにか欲しい加護を言ってください。」
きたっ。
俺は心の中で、小さくガッツポーズをとった。
これは近年流行りの異世界転生というやつに違いない。ハーレム出来るやつだ。酒池肉林とかできるやつに違いない。
そうと決まれば答えは簡単だ。俺は、別に強さなんていらないので願いはすごくシンプルだ。
「美女に溺愛されたいです。」
「・・・そ、それでいいのですか? こう・・・武芸百般に長けていて背中から多連装ミサイルが出るとか、手に持った扇子からビームが出るとかじゃなくていいのですか?」
ドン引きした顔で自称女神が言う。
少し嫌そうな顔をしていても、やはり美人はいいものだ。引かれた態度にもゾクゾクする。
「はい! ずっとそういうのが夢だったんです!!」
露骨に癒そうな顔をしている自称女神様の顔を見ても、恐縮するでもなく、逆にぞくぞくと恍惚を感じているのは、多分、女神様にもバレてしまっているようだ。
明らかに引かれている。
「じゃあ、できあいがいいんですね。わかりました。とびっきりのできあいにしておきますから!」
とびっきりの溺愛かぁ・・・頭の中にピンクの妄想のお花畑を咲かせているうちに、視界は眩しく輝き、すぐに何も見えなくなった。
・・・
「・・・ですわ!」
声が聴こえる。
広い石造りの部屋に、豪華な内装。縦ロールの金髪を揺らした、少しキツめの碧い眼をした美女が、ねぶるように声を荒げている。
「貴女はポテサラ程度のものも、王子様に作ってあげられませんの?」
ん? なにか言い争いをしているのか?
であれば、この溺愛されるべくして転生した俺様が、君たちの仲をとりもってあげようではないか!
などと早速、調子に乗りたくなったのだが、なにやら様子がおかしい。
いや、様子がおかしいのは彼女達ではない。むしろおかしいのは俺だ。俺の身体が、と言った方がいいか。
なにしろ、力を込めてもぴくりとも身体が動かないのだ。しかも視線も妙に低い。かろうじてこれは・・・俺は一体、どういう状態なんだ?
よし。冷静になれ。まず俺のサイズ感から確認しよう。今の俺は・・・大きな皿のようなものに入れられている。
そしてそうだ、このピンクの髪の女性に、両手で持たれている。女性は下唇を噛み締めながら、複雑そうな想いを込めた眼で俺を見つめている。少し照れるな。
持たれている!? ちょっと待て。小さくないか?小さ過ぎないか?俺。
身体は・・・うん。やっぱり少しも動かない。でも視線は動かせるみたいだな。
周りを見てみると、白いものが積み上げられているのが見える。これは・・・芋。見紛うこと無く芋。完膚無きまでに芋。もしかしてポテサラか?
まさか、俺はポテサラの上に乗せられているのか?
あ、ありえねえ。ありえないシチュエーションだぞ。それ。
あの自称女神、絶対なにか失敗してるだろ。
とりあえず俺を持ち上げてくれているこのピンクの髪の子と、なんとかして意思の疎通を取らなければ・・
よし、俺の自慢の、この千切りして美味しくボイルされた人参を動かして、アプローチをしてみよう。
って、ん? まて俺、今なんて考えた? 自慢の人参?何言ってんだ。俺は人参なんて動かしたことないぞ。
この異常な状態下で、俺の頭も少し疲れてるみたいだな。
おっ。ピンクの髪の子が何かいいたそうだ。
あー、もう名前もわからんし、呼び名が長いからお前はこれからピンク髪だ。そもそも髪色がピンクなんだよそれ、ほんとに生身の人間か?
「こ、これはお母さんが働いているお店で、
お母さんが作っているポテサラです!
私はこのポテサラが世界で一番美味しいと思ってます。」
いや、金髪縦ロールが指摘してるのは、そこじゃないだろ。味については何も言われてないし。
論点ずらしされて言い返された金髪縦ロールが、すこしイラっとしてるぞ。
「わたくしは、貴女が自分で作らずに、お店で出来合いのポテサラを買ってきたことを言っているのですわ。
今日のこの場は、王子様の誕生日パーティ。皆が、想いを込めた手作りの料理を持ち寄る約束だったではないですか!」
「だって、私、おかあさんのこのポテサラ大好きだもん!」
ピンク髪が脊髄反射で言い返す。あー、だめだこの子。ポンコツさんだ。言い訳が言い訳として成立してないぞ。
本音をそのまま喋って、意図せずに効率良く相手を煽って怒らせるタイプの子だよ。あかん。
「そんなこと言われたら、まるで私が貴女をいじめてるみたいじゃないの。
私はね。みんながルールを守って、料理を持ち寄ってるのに、貴女だけ出来合いのものを持ってくるのは、卑怯だと言ってるのよ!」
金髪縦ロールは正論さんだな。相手を理解しようとせずに、理論だけで追い詰めちゃうパワハラ気質めいた言いっぷりだ。
「だったら食べてみてよ!このポテサラほんとに美味しいんだから!」
そう叫んだピンク髪が、手に持っている俺を潤んだ眼で見つめ、もう一方の手に持ったスプーンを俺の方に突き刺してくる。
ん? 俺? そりゃあ避けようとしたさ。
一連のやりとりを真下から見上げながら二人の会話聞いてたら、いくら鈍感な俺でも流石に気づく。
俺、ポテサラだわ。
頭の上から尻尾の先まで、それはもう見事なまでにポテサラだよ。
そりゃあ動けるわけないよな、ポテサラだもん。
喋れるわけないよな。だってポテサラだし。
人間────あ、今はポテサラか。死の危機に直面すると、視界がスローモーションになるというが、それをまさに俺は今、ボウルの中で体験している。
ピンク髪の持つ、よく磨かれて無駄に光り輝く銀のスプーンが俺の目の前に、未必の殺意をもってゆっくりと近づいてくる。殺意じゃなくて、もしかしたら食欲かもしれないが、今はそんなことどうでもいいか。
────さくっ・・
ひんやりとスプーンの先が、俺の敏感な身体に突き刺さっていくのを感じる。これでも俺は人間の頃は感じやすい体質だったのだ。
まあ今はそんな個人情報は今はどうでもいいか。思いの外、スプーンが刺さった場所は、痛くないし、むしろどちらかというと・・すっごく気持ちがいい。
もすっという小気味良い音が身体中に響くと、軽い喪失感に襲われる。
ああ、俺、このままこの縦ロールに喰われるのか・・・
それも悪くない人生だったな・・・あばよ、俺の一部。
「出来合いだとか、馬鹿にしないでっ!」
ピンク髪の声と共に、スプーンが金髪縦ロールの口の中にねじ込まれる。
─────はっ!?出来合い!?
ま、まさかあのボケ女神、「溺愛」と「出来合い」を間違えたのか?
突然の眩い閃光が眼を刺す。
ふと気がつけば、俺は会社の机の上で突っ伏せている。
このシチュエーションはどう考えても、ただの寝落ちによる悪夢だったようだ。
後輩の奴が、無駄に60,000字にも及ぶ始末書を書いてくるものだから、赤入れしている最中に寝てしまったのだ。
それにしても酷い、酷すぎる悪夢だった。
─────深夜、独りだけの広いフロアには、旧型のフロア空調がくぐもった低音を響かせている。
いつの間にか、後輩とのテレビ会議の通信は切れているようだ。あいつどこいったんだよ。
あー、今夜のメシは、絶対ポテサラ食べよう。
まずは、その前にこの誤字だらけの始末書を、適当に書き直すか・・
誤字だけはちゃんと直さないとな。
俺はねぇ、饅頭が怖いんだ!俺は本当はねぇ、情けねぇ人間なんだ。みなが好きな饅頭が恐くて、見ただけで心の臓が震えだすんだよ──── ごめんごめん、いま饅頭が喉につっけぇて苦しいんだ。本当は、俺は「一盃のサポート」が怖えぇんだ。