【小説】ワーケーションでモテる話
人にはそれぞれ得手不得手というものがある。
例えば俺で言えば、子供の頃から注意力が散漫だとよく言われ、2つのことを同時に考えるのは、大人になった今でも、少し苦手だ。
その代わりといってはなんだが、ひとつの事柄への集中力は人並み以上だと自負していて、子供の頃は受験の時にもそれは役に立ったし、今している仕事でもその集中力はすこぶる役に立つ。
我社は健康グッズを売っている小さな会社であり、俺はそんな会社の営業部に所属している。入社してもう数年経つが、居心地の悪さを感じることはない。
「やあ進藤くん。今日から我社もワーケーションを推進することになった。そこで君にはぜひとも実績を作ってもらい、外部へのアピール材料とさせて欲しい。」
また課長が変なことを言い始めた。
そもそもワーケーションってなんだっけ?
先週、ニュースサイトで目にしたような気のする単語だな……
とりあえずぐぐってみる。
『休暇を取りながら働く「ワーケーション」(ワーク+バケーションの造語)。政府が推進を表明したことで注目が高まっています。』
この記事のトップには、砂浜でノートPCを開いている水着姿の女性の写真が掲載されている。
・・・バカだろ、これ。
砂浜でPCなんて開いたら、背後通る人に社外秘情報も見られまくりだし、そもそも精密機器であるPCを砂浜で使うとか、ありえなくないですか? コレ。
それで・・俺がこれをやるのか? 浜辺で? PC開くのか!? そもそも美女じゃないぞ、俺。男だし。
頭上に疑問符を上げまくっている俺に、課長が言葉を続ける。
「いやいや。君みたいなムサい男が、浜辺でだらしない身体をみせても宣伝にはならんだろう。
第一、裸とか水着は、企業イメージが良くない。
でも幸い、君は顔だけならイケメン枠だからな。君はなにかスポーツを趣味にはしていないのか?」
「あ、はあ。なんかさらっと失礼なことを言われてる気がしますが、それは兎も角、私はボルタリングとマラソンが趣味です。ボルダリングはただの趣味ですが、マラソンは市民大会に出て完走していますよ。」
軽く自慢もしつつ、返答をした。まあ上司なので多少の失礼な物言いはひとまずスルーだ。
俺は言葉を続ける。
「でもどちらもノートパソコンを開きながら、出来るスポーツじゃないですよ。っていうか、スポーツ全般、身体動かしながら仕事するなんて無理がありすぎますよ。バケーションなんだから、この写真みたく、砂浜でトロピカルドリンク呑みながらノートPC使うとか、温泉旅館で多すぎる料理食べながらノートPC使うとかじゃだめなんですか?」
「君だって我社の取り扱ってる商品を知らないわけではないだろう。健康用品売ってる会社が、温泉旅館で仕事をしていても、なんのアピールにもならんだろ。なんとしても、健康に気を使いながら、仕事をしてもらわないと困る。」
「じゃあ、どうしましょう。ノートPC持って、壁には登れませんよ。」
少しふてくされながら返答をしてしまう。
「そうだな。そう思ったんだが、以前、少しだけ話題になったGoogle Glassという、メガネ型PCを使ってみてはどうだろう。声で操作できるようだし。」
「はあ・・」
大丈夫だろうか・・ 不安で一杯だが、メガネ型PC───正しくはウェアラブルPCと言うらしいが、それ自体は会社から支給されるということで、後日私は勤務の一貫として、ボルダリングを撮影される羽目になった。
───実のところ、ボルダリングというのは簡単なスポーツだ。
要は壁の一番上まで登って、一番上にある突起に両手でつかまればゴールだ。それをどれだけ登れるかを競う。まあ大会に出ると制限時間があるらしいが、素人が楽しむ分には、基本的に登るだけでいい。
ただし、突起物の配置はいつも同じではないので、短い時間で自分が登るルートを決める判断力と、それを実践する体力、筋力が必要とされる。
そもそも両手両足の筋力をフルに使うスポーツであるだけに、その最中に仕事などできるわけはないのだが、今回はそんなことは百も承知だ。壁を登っている間に仕事をしている「ふり」をすれば良い。
私は最初の突起を両手でホールドし、壁を登り始めた。壁の下ではカメラを構えている同僚が、私が壁を登りながら仕事をしている様子を撮影してくれる手筈になっている。
俺は、下のカメラからかっこよく視える角度を計算しながら、ある程度の高さまで登ると、メガネに映るPC画面から、メールを選択し、メールを読み始めた。
尤も、自分の視界にPC画面が映っているかどうかなどは、はたからみれば知る由もないので、これはもうモーションだけでいい。このメガネPCは音声コマンドでも操作が可能だが、それでは写真では伝わらない。メガネの横に搭載されているタッチパッドを触れているところを、写真に撮られる必要がある。
俺はかっこよく片手で突起につかまりながら、メガネの横のタッチパッドを操作した───
結論から言うと、撮影は大成功だった。撮影を始める前は、壁の下で撮影してくれているのはてっきり同僚かと思っていたが、いまよくみてみると、広報室で一番可愛いと評判の女性が、すごい笑顔で撮ってくれている。我ながら現金だが、これはやる気が出るというものだ。
今日の撮影はもう一箇所あった。
マラソンだ。走りながら業務をこなす俺の姿を撮影するのだ。
マラソンという競技は・・・まあ説明する必要はないだろう。いわゆる長距離を走るだけのスポーツだ。
特に集中力が必要なスポーツでもないので、どちらかといえばワーケーション向きだ。いや、全然バケーションとスポーツは関係ないと思うが、もう今更そんなツッコミをいれたところではじまらない。
近隣の幹線道路まで、社のスタッフと移動し、俺はマラソンのふりをはじめた。撮影が目的なのだから、本気で走る必要はない、それっぽい格好で、それっぽくランニングしてみせればいいだけだ。
「それじゃあはじめましょう。それではシナリオ通り、走りながら、音声コマンドを使って適当にメールとか開いて、本社の人に業務指示を出すメールを送信してください。」
俺はその指示に従い、走り始めた。ここの街道を選んだのは、他にも素人ランナーがランニングしていることが多いからであり、今日も何人かのランナーが先を走っているのが見えた。
えーと、まずはメールを開くんだったな。
「Gメール起動」
メガネに映るウェアラブルPCが、メールソフトを起動する。
「最新のメールを開いて」
先頭のメール内容が眼前に表示される。事前に、部下に送信してもらった業務メールが表示されている。メールの内容は、どんなモデルを健康用補助座席シートの宣材写真に採用するか、実際に車に付けたイメージにするかどうか、というものだ。これをみて、俺は指示を出せばいい。
まあ簡単な話だ。俺は幾つかの選択肢の中から、最初のものを選んだ。
走ってみてすぐに分かったが、走っている時点で脳は酸欠気味となる。走ること自体に集中力は殆どいらないが、脳の判断力は圧倒的に鈍る。今の選択も、正直、面倒だったから最初の案を採用しただけだ。
「吉田くんにメール。」
公道なので、個人名はどうしても小声になってしまう。
「先頭の女性でいこう。車を使っていいから。」
かたやメール本文は、間違って音声認識されてしまうと面倒なので、はっきりとした口調で言い切った。
私が音声コマンドを入力した途端、視界の左側に映るPC画面の反対側で、女性が振り返るのが見えた。
えーと……あれはPCの画面かな? いや、実際に目の前を走ってる人だよなあ、あれ。
あっ。こっち視てる…… もしかして、さっきの俺の声が聞こえてしまった?
(────ダダッ!)
振り返っていたのは一瞬のこと、女性は前を向き直すと、猛ダッシュ。
やばっ。絶対あれ誤解してる・・
「やっぱさっきのは無し! 誤解です!」
とりあえず叫びつつ、女性を追いかける。
謝らないとあれはやばそうだ。絶対不審者だと思われている。
というか、叫びながら女性を追いかけている俺が今、まさに不審者のような気がする。
「誤解なんです。これは機械に向かって喋ってただけなんです!」
あ、立ち止まった。
「紛らわしいことしないで下さい!」
女性は振り返るなり、俺を叱り始めた。
「進藤さん! 貴方は、ちょっとカッコいいから許しますけど、本当なら警察呼ばれてもおかしくありませんよ?」
あれ?怒られるかと思ったら、なんだか様子がおかしいな。
そもそも進藤さんって、俺の名前なんで知ってるの? どうみても初めて会った人なのだけど・・
「進藤さん!」
「しんどうさぁん!」
頭がぐらぐらする。視界がゆれ、頭に俺を呼ぶ声が反響するにつれ、揺れていた視界は歪み初め、視界が白く染まった・・
────わずか数秒だったかもしれない。程なく俺は目を覚ました。
目の前には、パステルカラーの突起を生やした壁が、そそり立っている。 ここは……さっきのボルダリングジムか?
「進藤さんっ! 良かったー。気絶した時はどうなることかと思いましたよ。だめですよ、ボルダリング中に片手を離して、メガネを触ったりするから、落下して気絶したりするんです。音声コマンドが使えるんですから、手で触れる必要なんて無かったですよね?」
普段から調子だけはいい後輩が、介抱してくれていたらしい。
「ぉ、おう。」
俺はと言えば、とりあえず生返事をしてしまう。なにせまだ意識がはっきりしないのだ。勘弁して欲しい。
後輩君が言うに、どうやら俺はボルダリング中に、ウェアラブルPCを触ろうとして、落下したらしい。
ということは……あの広報室の女性も、マラソンも、まるごと夢だったのか……
────その後、俺は上司にとっぷりと叱られた後に、結局、ウェアラブルPCを使ったイメージ映像の撮影企画自体が没となったのは言うまでもない。いや、普通やる前に気づくよね?
それにしても、あの女性、綺麗だったな……
俺はねぇ、饅頭が怖いんだ!俺は本当はねぇ、情けねぇ人間なんだ。みなが好きな饅頭が恐くて、見ただけで心の臓が震えだすんだよ──── ごめんごめん、いま饅頭が喉につっけぇて苦しいんだ。本当は、俺は「一盃のサポート」が怖えぇんだ。