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ハンドメイドの仕上がりと練習量は単純には比例しないふしぎ
かれこれ4年前の作品の写真を漁ってきました。
最近棒針編みの作品を作っていますが、棒針編みをしたのはそれ以前では4年前が最後です。
こんなに何年も編針を持っていなかったのに
なぜか上達していたのが不思議でなりません。
これらは4年前に作ったものです。
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私は人間サイズのセーターのような立派なものを満足に編めたためしはありません。
人間サイズのものは靴下やミトンをやっと仕上げたことがある程度でした。
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2020年の小さなセーターたちは靴下用の毛糸の余りで編んだものです。
糸選びも、デザインも何もかももっさりしてました。
基本的にメリヤス編みばかりだし、靴下用の段染めの毛糸だから色の出方が変でした。
気がつけばあれからもう4年経ってるのか
(それも不思議だしなんだか怖い)
その間していたことといえば、お人形の服を販売したりして小さな作品を沢山作っていました。
編み針を持たなかった4年間弱。
模様編みに至っては本当に10年やってなかった。
なので私は特に自分に期待してませんでした。4年前に作ったものより良くなっていればいいくらいに思っていました。
それなのになぜ?何が起こったの?
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手芸の仕上がりの良し悪しを決めるのは
単なる練習時間の多さではない。
ということがはっきりと実感できた経験でした。
手を動かせば動かすほど単純に上手になるもんだと思ってたけど、
ひとしきり編んだあと、下手なまま同じように編み続けることは技術の向上の面でいうとあまり意味はないのかもしれない。
その時その時の作業は特別じゃなくても、
色々な場面で身体で覚えたことが積み重なって今に至るのかもしれません。
一度身体が覚えたことはそうそう忘れないんだなというのが分かってすごく嬉しい出来事でした。
物覚えが良い人というのはいるけど、
身体で覚えるのが得意不得意というのもあるのかな?
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