福島の原子力発電所の汚染水のこと
『この汚染水をどうにかできる科学力は、現代人にはない。』
そんな話を聞いて思いました。
まったく問題無く処理することが可能か不可能かなんて私に確かめる術はないんだけど、
確かに、その可能性は十分にあるんだなと。
私にはどうしようもできない問題だからこそ、私は国に任せてる。
でもその問題を自分の国の力だけでは処理できないというなら
私は自分の国のために、他の国に対して頭を下げても良いと思ってる。
どうしたって他の国に迷惑をかけてしまうなら、
正直に現状を告白して
問題解決に1番良い方法を海を共有する他の国と一緒になって考えるのが最適なはずだから。
問題があるのに問題がないように見せかけることがまだ今の日本には必要なんだ。
今の私には力が無いから。
今の私が他の国に頭を下げたってなんの意味も持たない。
でも私には日本人としての責任があります。
私が原子力発電所を始めたわけでもないし、3.11で事故が起こった直接的な責任は私には無いんだけど、
この国籍に生まれた時点で背負わされてしまってるんだから、この国で生きる以上は逃げることはできないんだ。
今の日本は、庶民の機嫌をとらなきゃいけない風潮がまだすごいのかな。
日本が他の国に対してどんな姿勢でいるのかも私からは正確にはよく分からないけど、
今の政治が板挟みになっていることは分かった。
それでも、歴史上1番、最善は尽くしてくれているような気がするの。
それで今の結果なら、
それは庶民がみんなで背負わなきゃ日本は立ち行かなくなる。
そういうことだと思うんです。
私は、汚染水の排水に心から賛同するわけじゃもちろんないけど
私の国がそれを決めたなら、
その責任はこの国と一緒に背負うし
他の国の人にも、同じ地球に住む同じ種類の動物として同じ責任を分け合って背負ってもらえるように頭を下げる。
責任をなすりつけ合っててもしょうがない。
もうすでに歴史上のあらゆる場面で日本が世界に迷惑をかけてきた事例はたくさんあるし、
私はその恩恵も業も受けちゃってるわけだから。
今回のこともその流れで背負うだけだ。
じゃあ、何ができるの?って考えたら
一庶民の私にできることは、
他の国の人と話す時に、お願いしますっていうことだと思う。
迷惑をかけますが一緒に解決するために知恵や力を貸してくださいって。
それで断られても、相手にされなくても
その時はしょうがないから
それでもこの国で生きて、この国の行末を背負う大人なら、
挫けずに他の国との関係を良くするために最善を尽くすべきなんだ。
70年前の戦争とかじゃなくて
今、現在進行形で進んでる自国の問題だから、
庶民が自国の問題に対してどう対処するかを他国に示すチャンスみたいなことでもあると思った。
今日の学びです