PPP的関心2024【「合意形成」の難しさについて考えさせられたニュース】
PPP的関心2023#34(2023.09.03)を最後に2023年の発信をしばらくお休みしていましたが、久しぶりに『PPP的関心』を再開します。書くのを休みにしていた理由にはこれというものがあるわけでもなく、100週連続投稿(PPP的関心2023#30)に到達してちょっと休もうかなぁ…そんな気分になっただけ、というのが正直なところです。
でも。せっかく続けてきたnote連載でもあるし、少ないながらもフォローをしてくれている方々もいることだし、そろそろ再開しようかなということで2024年の再開後もボチボチ綴って行こうと思います。
引き続きよろしくお願いいたします。
「タワーが欲しい」発言に感じた昭和脳
昨年まで関わっていた某所のお仕事で、(乗降数や停車列車の種類で見ても)地域では主要な駅の駅前遊休地の利活用案策定のお手伝いをする機会がありました。その際の発注主から発せられた言葉に衝撃を受けました。
「タワーマンションが欲しい。」
地域の主要駅、顔になる駅の駅前にはタワーマンションや高層建物があって当然だ。それがいまだにないのは恥ずかしいくらい、といった趣旨でした。
人口も経済規模も右肩あがりという背景を持つ都市化の過程で効率的な集住を促すための方法を、明らかにそうではなくなった時代背景に求めるというのは昭和の当たり前がいまだに当たり前になっている昭和脳の思考だな、ということを感じたものです。
ちなみに。今回の話題はこれが主題ではないので後の顛末の詳細は省きますが、結果的に「タワー」ではない選択になり、その判断となった要点は社会情勢や投資回収の可能性などの「現状認識」が進んだから、だと考えます。
政治が主張する影響と数値で見積もる影響。何が違うのか
2023年の年末にちょっと関心を持ったニュースがありました。京葉線のダイヤ改正と地域の利便性の変化、その変化に対する「政治」の反応です。
利便性やこれまでの施策への影響を「アピールする」政治
不満続出は本当か?という素朴な疑問を数字で示す第三者目線
一見「政治の主張」には市民が期待する利便性が低下するとか、産業立地としての価値が低下するともっともらしくも見えるが、そこに「影響の程度」が加味されていない主張には「なるほどね!」というほどの共感は生じないし、朝の通勤時間帯だけの話とすれば産業立地としての価値を著しく低下させるというほどでもないかなとも感じる。
一方で、7万人が新たに享受する利益と6千人の期待低下と利益喪失をどう比較するか?もとても難しい問題でもあります。沿線地域全体としての利益を素直に捉え受益者の多い選択をすることはもちろん合理的と考える。一方で6千人が期待していた時間利益はどこまで(住宅購入の)当初意思決定に影響していたのかは分からないものの勝手に奪われるものでもないとの主張も全く聞く耳持たないのも気が引けると感じます。
またわからないことはJRの「目的」です。実利として首都圏の他地域で私鉄で通勤時の速達電車を減らすことで乗車人員が分散し駅停車時間の定時確保が容易になり、速達電車と各駅停車を混ぜて運行しても結局は遅延してしまいあまり変わらない…という状況を減らしたという話を聞いたことがありますが、今回の件でJRのコメントが取り上げられていないのでなんとも言えないのですがもしかするとJR側にもそのような主張があるかもしれません。
PPP視点。これからの社会生活における合意形成のあり方を考えさせられる
今回のニュースは民間事業者である鉄道会社の意思決定に対する地域社会の反応を対比したものでありいわゆる官民連携で新たな行政サービスの創造や停止を対象とした議論とは違うとは思いますが、政治が民間企業に対し主張や申し入れをするほどの地域社会に影響を与える変化において、当事者間の「そもそもの目的」の共有やその際の「具体的な論点」の提示といった合意形成を促進する機会や手順があったのかは気になるところです。
さらに、仮にもしこれが行政施策が与える社会的変化であればここに「対話機会」の創出と確保が加わることになると思います。
こう整理すると取り上げた例ではダイヤ編成の目的(これがJRの経営効率の話なのか、先ほども書いたように結果的に遅延を減らすことなのか等…)を政治の主張が汲んでいない(無視しているのか理解していないのかはわかりませんが)ことにも対話の噛み合わせが悪くなる一因なのかもしれません。
昭和ではなく令和なのだから
私はこの件でどちらかに偏見を持つものでも近い利害関係があるでもないのですが、一つ言えることはこれが実行されたら「どんな範囲にどんな影響が出るのか」について具体的に数値などで示されるのが良い議論を進める上で必須だということです。
もしそれを抜かしてしまうと、市民のために(それが7万対6千でも、いや6千だから)味方になる、弱者にいいことしているという政治的演出とも受け取られかねません。万が一定量的な理解もなしに…であればこれも「昭和脳」発想だと思います。
社会全体が成長する下では一部の弱者への分配を優先することが可能だったかもしれません。しかし社会構造の変化はすでに顕在化しつつあり、さらにその先を見据えればさまざまな取り組みに「優先順位」をつけなければなりません。これは最近個人的に関心を持っている公共不動産の利活用検討にも通じる視点です(参考:最近の論考)。また劣後にせざるをえなかった取り組みを共助的な取り組みとして訴求することになるかもしれません。その場合には目的を明確にしなければ共感はなく仕事が進みません。いずれにしても取り組みの目的を明示し具体的・定量的にかつ部分最適ではなく全体最適の視点で考える。これがこれからの政治に期待されることだと思います。