わからせようと、思わない。
この記事で、松浦弥太郎さんの本をふと借りたことについて書いたので読書感想文。
著者:松浦弥太郎
出版年月:2013.2
書名:『センス入門』
出版社:筑摩書房
エッセイには、1 どうしようもないもの、2 グイグイと世界観へ引き込んでくるもの、3 こちらに語りかけてくるもの(3-1 不特定多数へ語る、3-2 私に向けて、対話する)の最低でも4種類があると思っている。
松浦弥太郎さんが紡ぐ文章の多くは「3-2 私に向けて、対話する」に属しているのではなかろうかと常々思っている。
せいぜい松浦さんの著書を15冊程度しか読んでいないので言い切れないけれど。
断定的ではないのに、まどろっこしくない。こざっぱりした文調で、「ところであなたはどう思いますか?」といつもこちらに思考する時間を与えてくれる。
なので文章は読みやすいし、わかりやすい。
けれど、本自体が何を教えてくれたかをざっくりまとめるのは難しい。なぜなら読んでいる途中途中の自分の思考がよぎるからだ。そしてそれで良いんですよ、という松浦さん(著者というより、「さん」付けしたくなる)の姿勢を常々を感じる。
その理由がちょっぴりわかったのが本書だ。
まずは、1章「センスのいい人とは、どんな人ですか?」で3つ目にでてくる質問「自分のことばは何よりも伝わる」をご覧いただきたい。
センスのいい人たちは、頭で考えてしゃべるとは限りません。〜中略〜それは人を納得させるためには話のディテールが完成されていないし、だいたい人にわからせるようにパッケージされているわけでもないので、一見すごく稚拙に見えることもあります。でもほんとうは、そういう人の言うことのほうが人によく伝わるということを、僕は編集という仕事をしていてとても強く実感しています。(松浦弥太郎『センス入門』より抜粋)
そう、松浦さんは人に「わからせよう」とすることが目的ではないのだ。
伝え、そして相手に思考を委ねるのだ。
それに私は強いシンパシーを感じた。
というのも、私の作品は特になにかを主張しているわけではないからだ。
1つの強いコンセプトや、センセーショナルなテーマがあることで、興味を持ってくれる人がいることはわかっている。
だけども、優柔不断な私はいつも一つのことを考えると、その逆の方向で悲しむ人がいやしないかと考えあぐねてしまう。
それが弱さであり、つまらなさであると自分を恥じ、わざと一つの閃きにしたがった作品を作っていた時期もあった。
(そして、それらは今より評判が悪くはない扱われ方だった)
でも、どうしても、性にあわないのだ。
だって、作品を完成させることが目的なのではなく、物事を考えるのに必要な過程がアートなのだから。
そんなわけで、一つのテーマに対しああだこうだで結局「最終的に君はどう思う?」といった結論をなにも言えていない。
けれど、鑑賞者がそのテーマについて思考を巡らすきっかけになることを期待している。
物事は百人百様、シロクロはそんな簡単につけられない。
その合間に豊かなグレートーンや、今まで三人三様程度でしかなかったものがジワジワとさざ波のように蠢いていく様が好きだ。
松浦さんの本を読んでいるとそういう自分を肯定してくれるような気がして、ちょっぴりホッとする。
とまぁこんなかんじで、本を読んだのに自分はどうなのだろう?ということばかり考えさせる松浦弥太郎さんの『センス入門』。
具体的に「おお」だとか「やってみよう」と思ったことを以下にまとめる。
・センスを大切に思う人は、しばしば自分以外の人を否定しがち
・この人はセンスがいいなと思った人が見て聞いて触れたものを調べてみる(志賀直哉に私も興味が出た)
・センスがいいとは美徳といえる。すなおな目、すなおな心
ついね、『センス入門』というタイトルなものだから、
「センスのいい人とは、どこどこのシャツを着て、だれだれが作った作品に感動できる人です」だとか、
そんなこっ恥ずかしいことが書かれたハウツー本ではない。
何か情報を求めたくて読むのではなく、自分の美徳について思いを巡らせたいときのきっかけに読んでみるといいと思う。2013年とちょっと古い本なのでその点が気になる人は、同じく筑摩書房より『仕事のためのセンス入門』が2021年3月に出版されているのでそちらはどうだろうか。
未読ではあるが、きっとこちらも、「イケているビジネスマンはあの時計をしている」みたいなもの「ではない」であろう。
「暗夜行路」の次にでも、読んでみようかな。#読書感想文