らしくない大林に、泣け! 『風の歌を聴きたい』1998.08.10 矢部明洋
大林宣彦という監督の辞書に、「手堅い」なんて文字はないと思っていた。『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』と秀作を連発したかと思うと『姉妹坂』なんていう、とんでもないバカ映画を撮ったりする。三振かホームランか、当たりはずれが極端に大きい作家だと見ていた。
ところが、今回の『風の歌を聴きたい』は大林監督作品としては「らしくない」と形容 したいほど手堅い力作に仕上がっている。つまり、よく泣けるのである。泣かせのツボを 確実に押さえたドラマ作りで観客に過不足ない満足感をもたらしてくれる。変な映画がありがたがられる昨今、身銭を切って損はない。
大林監督作品は尾道三部作の成功で、落ち目の日本映画界にあって山田洋次や宮崎駿に肉薄するブランドを確立している。人気の秘密は、登場人物たちがみんな善意で結ばれる、心優しい大林ワールドを毎回見せてくれるからである。この人は、毎度毎度、一種のユートピアを臆面もなく描き続けている。ユートピアなんだけど、登場人物たちは恋や死という、人間の宿命に直面し苦しむ。この落差というかコントラストのつけかたで観客の胸をしめつけるという、実に作戦勝ち、という映画作りを続けているわけだ。私は密かに、大林氏を映画界のさだまさし、センチメンタル職人と呼んでいるほどだ。
ユートピアを造形するため、登場人物はマンガチックになる。芝居よりムードなので、 セットではなくロケーションを多用する。作家としての個性の裏には実に明快な戦略もあ る。
さて、『風の歌を聴きたい』が、なぜ大林監督らしくないオーソドックスな作風となっ たのか。それは、物語自体が耳の不自由な障害者夫婦を主人公にした善意あふれる代物だ ったせいだ。あえて大林タッチでユートピアを演出する必要がなかったせいである。黄金 の必勝パターンは使えなかったが、自分の世界にしようとの努力は怠っておらず、ロケは 巧いし、この手の映画にありがちな湿っぽさ、安っぽさもユーモアで見事に切り抜けてい る。何より、「障害者の現実を美化しすぎている」なんて批判の一つも出そうなものなのだが、「監督 大林宣彦」の威光の前ではそんな批判は無力化してしまうのである。
おそらく、この映画を見て、主人公夫婦が出場する宮古島トライアスロンに、自分も出よう、と決意した人が絶対いるはずだ。監督の作家性は見えなくとも職人としての手腕は十分発揮され、観客が勇気づけられる幸福な映画である。石橋蓮司ももうけ役。
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