魔性を見た 10.11東京ドーム・小川vs橋本 1999.10.20 矢部明洋
山口から飛行機に乗り、もちろんホテルも予約して、東京ドームへ小川と橋本の遺恨戦を見に行った。
一番安い5000円の席だったから、リング上の選手は指の爪の半分くらいの大きさにしか見えない。観客は5万8000人だという。
ドームに来る度、プロレスとは凄い競技だと思ってしまう。シューズとタイツしか身に着けない、徒手空拳の男2人の戦いが約6万人を興奮させるのだから。
歌手のコンサートは音響装置が声や演奏を膨らませる。野球は精緻なルールが試合に緩急を生む。対してプロレスはルールもいい加減というか、単純かつアバウト。メーンイベントを務める選手には肉体や技術以上にマンパワー、もしくは人としての器量が問われるジャンルでもある。 そして、小川vs橋本の試合は、名勝負という形容も超えた、ジャンルを代表する一戦となった。「行って良かった。生で見れて良かった」という一言に尽きる。
中身は小川の圧勝。橋本を完膚なきまでに、投げつけ、蹴り飛ばし、殴りつける姿は悪魔に見えた。試合時間の十数分間というもの、心臓は高鳴り続け、魔を眼前にする興奮に酔ったと言っていい。
人がテレビだけでは満足できず、プロレス会場に足を運ぶ理由とは、文明社会が建前として許容しない「人間の魔性」を目撃できるからに他ならない。今回、それがはっきり分かった。
よく考えてみれば、猪木をスーパースターたらしめたのは、あの狂気であり、力道山vs木村政彦が今も語り継がれるのは、その凄惨さのせいだ。 完成されたルールが存在するメジャー競技やオリンピックスポーツには望むべくもない「魔の刻」がプロレスのリングには時折、現出するのである。
しかし、東京ドームのメーンイベントで、その瞬間が到来しようとは…。興行会社・新日本が看板商品の一つである橋本を、明らかに格闘家としての技量が数段勝る小川に、あそこまであからさまに生贄として差し出すとは思わなかった。新日が「小川に茶番劇を強要するのでは」という少々ひねたプロレスファンたちの予想は裏切られた。
しかしである。自称とはいえ一時「ミスターIWGP」を公言した選手が、アマ柔道出身の小川に完敗したのは、新日本のみならず、プロレスの危機には間違いない。いや、危機どころか、プロレスの幻想は終わったのかもしれない。グレイシーやアルティメット、バーリ・トゥードの勢いを巻き返すため、新日は小川を核にガチ路線を進めてゆく決断をしたのか。 あるいは、「社長・藤波、御しやすし」と見た猪木特有の仕掛けなのか。何か猪木の掌の上に新日が乗っちゃったような気もする。
いずれにしても、ここ数年、新日本の試合会場にまん延していた予定調和ムードを小川vs橋本は一掃してくれた。よくぞやってくれた。これがあるから会場通いは止められない。