活劇の呼吸 (あるいはアクションムービーに忍び寄るテレビゲームの影) 『RONIN』1999.07.15 矢部明洋
活劇の演出にはタメが必要だ。
例えば、『椿三十郎』のラスト、三船と仲代のにらみ合い。
あるいは、居合抜きの使う座頭市の殺陣の緩急。
『燃えよドラゴン』がブルース・リー映画の中で抜きん出た出来だったのも、格闘シーン以外の、哀しげなまでに物静かなリーのたたずまいが絶妙のタメとなり、アクション場面のカタルシスを倍化させ得たからである。
SFX技術の進化と共に、タメの効いた活劇を銀幕で見る喜びがなくなった。アクションものといえば、主役は俳優なのかSFXなのか分からぬ、遊園地のアトラクションのような騒々しい映画ばかりになってしまった中で、この『RONIN』は拾い物の、アクションならぬ活劇だった(私は「活劇」という用語で、昨今のアクション映画と区別をはかっているのです)。
監督は老匠、ジョン・フランケンハイマー。ファーストアクションの武器購入シーンは、デ・ニーロら主役連中の不安を細かくあおり、タメにこだわって見せる。この場面の演出で、我々は『RONIN』がSFX垂れ流しの、近年のアクション映画とは一線を画す作であることを知る。その後の演出も期待通りで、スタントと火薬をふんだんに使った活劇が続く。
しかし、この作品、ドラマ部分はかなり弱い。活劇を見せるのが巧いという、ただその一点で持っているといっても過言ではないほどドラマが弱い。こんなテレビゲームみたいな筋立ての作品にデ・ニーロが出演をOKするとも思えず、想像するに、脚本段階ではキャラクターにもっと背景を持たせていたはず。日本の四十七士が引用されるくらいだから、脚本あるいはもっと前の企画段階では凝ったドラマが設定されていたのを、昨今のアクション映画ストーリーのテレビゲーム化の影響をこうむり、編集段階で、登場人物を膨らませはするが筋にはあまり絡まないシーン、カットが刈込まれたのではなかろうか。無論、興行面への配慮から。
いい俳優をたくさん使ってるだけに、もしそうなら惜しい。約2時間の作だが、往年の映画界なら1時間半で、きっちりアクションもドラマも見せてくれただろう。テレビゲームの悪影響が映画のドラマ作りへも現れだしたのではないかと心配だ。
そうはいっても、SFX臭プンプンの最近のアクション映画に食傷しているファンには満足いく出来である。活劇の呼吸が味わえる。