中座ノススメ 『終電車』『6デイズ7ナイツ』『スプリガン』1998.10.09 中座ノススメ2 『シティ・オブ・エンジェル』 1998.11.07 追悼 淀川長治1998.11.19 矢部明洋
1時間見て、「つまらない」あるいは「のれない」と思った映画は途中で席を立つことにしている。反面教師として「後学のため」になるのはせいぜい20代の頃までだろう。30も半ばになると、面白くないものに付き合うのは、単なる時間の無駄にしか思えない。そもそも、面白い映画なんて年に数本しかないもの。加えて、昔ならいざ知らず、これだけ娯楽の多い世の中のこと、我慢の必要などさらさらない。「どうもダメだな、これは」と思ったらすぐに席を立つのが今どきの映画との付き合いかたではなかろうか。
どうして、こんな書き出しになったかといえば、最近、劇場に出かけても中座の連続だからである。したがって以下に記す3本の評価は不完全な代物だとお断りしておく。なぜなら残り数十分で凄い傑作に化けているかもしれない。とんと、そんな噂は聞かないものの、やっぱり「面白い」「つまらない」は人それぞれには違いない。
その1 まずトリュフォーの『終電車』だ。これは市図書館の映像ホールで800円で見た。今だかつてトリュフォーをけなす人を見たことがない私だが、この監督は苦手だ。代表作も含め数本見ているのだが、面白いと感じたことがない。スウィングしない人間関係ばかり描く人なので、見ていてワクワクすることがない。それでも評論家たちは口をそろえてほめる。何がいいのか教わろうと謙虚に評を読んでみるのだが、感傷的な文章が多く、要領を得ない。トリュフォー論というのは本当にとらえどころのない文章が多い。『終電車』も私のトリュフォーに対する偏見を覆してはくれなかった。私にとって、彼の代表作は何といっても『未知との遭遇』の博士役である。
その2 『6デイズ7ナイツ』は試写を見た。主演のハリソン・フォードは、アクション映画の深刻な表情のヒーローだけでなく、コメディーにも芸域を広げたかったのだろう。しかし、その挑戦は、監督や共演者にも足を引っ張られ見事に失敗したようだ。ハリソンが気の毒で見ておれず、私は1時間つきあって席を立った。
その3 『スプリガン』は1000円のレイトショーだった。絵が上手なのはいいが、それだけじゃーな。少年サンデーに不定期掲載されていた頃の漫画は面白かったのに。大友克洋が参加したのが逆効果だったんじゃないか。
中座ノススメ2 『シティ・オブ・エンジェル』 1998.11.07
中洲大洋劇場の前の看板に書かれていた「もう150万人が泣きました」という文句にだまされて、AMC13のレイトショーで『シティ・オブ・エンジェル』を見た。ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』には結構しびれたので、正直このハリウッド・リメーク版も気にはなっていたのである。しかし結果はヴェンダース版の良さを強調するだけの作品だった。
『シティ~』とは、一口で言って『ベルリン・天使の詩』の物語を、良くも悪くも米国の脳天気なまでに陰影のない感性で語り直したような映画である。『ベルリン』は登場人物たちの心の陰影を、人の心を読める天使を使うことで、東西ドイツの風景に溶け込ませるように表現することに成功した、技ありの映画だった。ところが『シティ~』の方には、そんな深謀遠慮は全くなく、話は単なる天使と女医の恋愛ものにスケールダウン。お陰で、夜明けの海岸で天使がたむろするシーンだってペンギンの群れにしか見えないのである。
『ベルリン』はピーター・フォークが手にしていた紙コップのコーヒーが印象深い。孤独で彩られる作品世界の中で、唯一のぬくもりとして象徴的に描かれるコーヒー。それが『シティ~』では洋ナシなんだろうが、『ベルリン』のコーヒーのように観客の胸にしみじみとぬくもりを(洋ナシなら清冽さか)残すような効果を発揮できたとは思えない。
外見は真似たが、作品のハートの部分には思い到らずというお粗末なリーメークとなった。1時間10分で退席。
股間の思い出 追悼 淀川長治 1998.11.19
映画の語り部として、映画ファンの代表のような存在だった淀川さんが亡くなった。
淀川さんには7、8年前に一度だけお会いした。懇談会のような席ではあったが、淀川さんの独演会状態で、日本映画に対する厳しい指摘が多かった。私は京都の円山野外音楽堂でジョン・ウェインが死んだ年に一度、淀川さんのトークショー(当時はこんな言葉はなかった)もどきのステージを見たことがあり、別れ際にそんな話で盛り上がった。握手を交わしながら
淀川「ところで貴方、いくつ?」
私 「27歳です」
淀川「独身?」
私 「はい」
淀川「そー、こっちの方は大丈夫?」
と言いながら、淀川さんは私の股間を軽くなでるのであった。唯美主義者の淀川さんのお目がねにかなったのなら光栄なことだと今では思っている。
その死が全国紙の一面で報じられ、著名人の追悼文が今も各紙を飾っているが、淀川さんの晩年の言動は単に好き嫌いがあっただけで、論はなかったのではないか。新聞の映画広告で淀川さんの好意的なコメントが使われているので足を運んでみたが、ちっとも面白くないという事がよくあった。余人の及ばぬ映画知識と審美眼は敬意に値するが、晩年はそれを商売に利用しようとする輩ばかりに囲まれ、著作が粗製濫造された。もっと映画史に貢献し得る仕事ができたはずなのに惜しい。少々映画にこだわりのある者からすれば、晩年の淀川さんは“虎の威”ならぬ“映画の威を借る”老評論家としか見えなかったのも、偽らざる実感だ。