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対光反射(在宅医療・看取り)
病室で酸素マスクと心電図のモニターを付けた患者。
その周囲には医師と看護師、そして家族。
心電図のモニターがピ~ッと鳴って波形がフラットになり、医師が聴診と対光反射(目に光を当てて、瞳孔が反応するか確かめること。死亡すると反応しなくなる)で確認し、「○時○分、ご臨終です」
その声を聞いて「お父さん~!」と突っ伏して泣く家族。
テレビなどでよく目にする臨終のシーンである。
多くの方々は、これが人が死ぬことだと何となく思っている。
私も例外ではなく、このようなイメージで人の死を捉えていた。
医療者がいつもそばにいるとは限らない(むしろそばにはいないことが多い)在宅では病院のようにはいかないが、できるだけ早く走って行って、死亡確認をすることが重要だ・・とかつて私は思っていた。
ある時、訪問看護から在宅で療養中の方が亡くなられたとの連絡が入った。
ところがそんな時にかぎって外来は大混雑。
しかも、その方の家まではどんなに急いでも半時間以上はかかる。
とても外来を中断して走る訳にはいかない状況である。
外来診療に区切りがついたらすぐに行く・・と伝えたまではよかったが、時間のかかる処置が続き、ようやく外来が終わってその方のお宅に到着したのが、連絡があってからすでに2時間近くが経過していた。
慌ただしくそのお宅に駆け込んで
「遅くなってごめん、今から確認しますね」
そういって聴診器を取り出し、ペンライトで対光反射を確認しようとした時、鼻の穴と口の中に綿が詰まっているのに気がついた(今はあまりやらないが、かつては死後に分泌物等が出てこないよう、鼻や口に綿で詰め物をした)
私は訪問看護に、呼吸が停止し30分以上経過したことを確認後、ご家族の了承があれば医師の確認前であっても死後の処置をしてかまわないと伝えている(医師が確認する前はあくまでも心肺停止状態であって、看護師の判断で死後の処置などすべきではないと主張する方は在宅医療にはむいていないように思う)
忙しい訪問看護はその指示を守り、ちゃんと死後の処置をして引き上げた後に私が来たという訳であり・・
鼻と口がしっかりと塞がれたご遺体に対光反射で瞳孔の反応を確認するなんて、相当に間抜けな光景である。
もしこれで反応があったら、この人は何処で息をしてるんだ?
臨終から時間が経過して、すっかり落ち着いた雰囲気でこちらを見ているご家族に向き直り
「やっぱり、亡くなってます」 そりゃそうだろ。
私は以後、死亡の確認に際し、何となく形式的(儀式的?)にやっていた対光反射はしなくなった。
そして、人を看取るということに関していろいろと考えることになるのだが、それはまた別の機会に。