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じいちゃんのハーモニカ(在宅医療)
泌尿器科では一般的な処置のひとつに導尿というものがある。
自分で排尿ができない方に対して膀胱まで管を入れて尿を出すという処置である。
それが一度だけならちょっとした処置ですむのであるが(私自身も導尿された経験がある)、自分で排尿ができない状況が続く場合には1日何度も導尿を行うか、もしくはずっと入れっぱなしの管を用いて管理することになる。
非常に怖がりのじいちゃん。
神経疾患のため自排尿ができず、入れっぱなしの管(留置カテーテルといいます)でオシッコの管理を行っていた。
定期的に自分で導尿する(間欠自己導尿といいます)方が好ましいのであるが、自分自身で管を膀胱まで入れるなどという行為には、どれだけ説明しても断固として耳を貸そうとはしなかった。
留置カテーテルも入れて放りっぱなしという訳にはいかず、ある程度の期間が来ると新しいカテーテルに交換しなくてはならない。
これがじいちゃんにとっては大変な騒動で、処置が始まって終わるまでの間、身体全体に力を入れて「うお~っ!」っと叫び続ける。
そりゃ全く痛くないとは言わないが、その声たるや、それこそご近所の方が飛び込んで来そうな程の大声なのである。
「ええい、やかましい! どうせ声を出すなら歌でも歌え!」
ある日、虫の居所が悪かった私は、何でも平気で言い合えるようなじいちゃんが相手だったこともあって、医者とは思えないような言葉を口にした。
まあ息を吐いてリラックスするほうが痛みは多少ましになるので、処置の間、適度な声で歌うのはあながち間違っているとは言えないのであるが。
そして次に往診に行った時、じいちゃんが取り出したのはハーモニカ。
「歌は苦手だから、処置してもらってる間、これを吹く事にする」
それからというもの、私がカテーテルを入れ替えている間、じいちゃんはハーモニカを吹き続けた。
得意な曲はちあきなおみの名曲、「喝采」。
私がじいちゃんのち○ち○を持ってカテーテルを入れ替えている間、かなり情けない音で部屋に「喝采」のメロディが流れ、さらに私の後に立ってその処置を見ているばあちゃんがそれに合わせて小声で「いつものように~♪」と歌い続ける。
何も知らない人がいきなりこの場面に入ってきたら、この三人に一体何が起こっていると思うのであろう。
往診を重ねるうちに、じいちゃんのレパートリーは日本が戦争に負けたのが心底納得できるような弱々しい「軍艦マーチ」や「戦友」と増えていき・・そしてまた「喝采」へと戻る。
「じいちゃん、他に何か曲はないの?」
同じ曲にいい加減に飽きてきた私の一言に、次に往診した際に新曲の披露があった。 それは「仰げば尊し」
曲の途中でいつの間にか歌い出しのメロディに戻ってしまい、いつまで経っても終わることのない無限ループのような「仰げば尊し」
それじゃ、卒業できね~よ。
そしてこの1週間の特訓の代償として、どうも「軍艦マーチ」の方は忘れてしまったようであった。