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真夜中の天然ボケ(日常診療)
時間外、特に真夜中に枕元に置いた電話にたたき起こされるのは決して愉快なことではないが、それが急患からの切羽詰まった SOSならまだ諦めもつく。
診療所が開いている時間帯だけ都合良く状態が悪くなる訳はないし、真夜中に医者を呼び出す患者さんの方も相当気を遣うだろうことも想像に難くないからである。
ところが、電話の向こうから聞こえる声がとても明るかったりすると、正直「朝まで待てない?」と言いたくなる。
「先生~、池田(仮名)です~」 深夜に親しげな声。
「いや~、またオシッコが出なくなって・・」
人の名前を覚えるのが苦手な私でも、これが真夜中の数度目の呼び出しとなると、さすがに先方の顔が浮かんでくる。
このじいちゃんは前立腺肥大症があり、薬を服用している時は調子がいいのであるが、すぐに自らの判断で受診を中止する。
でもって、調子が悪くなるのはいつも真夜中なのである。
「じゃ、いつものように、これからすぐに診療所の方に行きますので」
おい、私はまだ診るって言ってないぞ。
断られるなど夢にも思っていないじいちゃんは、それだけ言ってさっさと電話を切った。
求められるままに真夜中の診察を受けてばかりいるのはよくないのだろうか。そうは言っても、私の家や携帯の番号は広く知れ渡ってしまっている。
なんとなく釈然としない気持ちを引きずって真夜中の診療所に出勤すると、じいちゃんは真っ暗な診療所の前で私を待っていた。
「先生、いつもいつもすみませんなあ~」
この明るさがちょっと神経にさわる。
診療所のドアを開け、自動ドアのスイッチを入れ、先に中に入ってカルテを探す。事務員がいないものだから、なかなか見つからない(当時は紙カルテでした)。
さっさと処置をすませて早く帰りたいのに・・。
ようやくカルテを見つけて診察室に行くと、そこにじいちゃんの姿はない。
何やってんだよ!
見ると、入口のドアで立ち止まって、しきりにキョロキョロと周囲を見渡している。
「池田さん、何やってるの? 早くこちらに来てください」
それでもその場所を動かないじいちゃん。
そして明るくひとこと。
「先生、このドア、閉まりませんけど。壊れちゃったのかな? 真夜中だからドアが開いたままだと用心が悪いでしょう?」
自動ドアが閉まらないのは・・あなたがそこに立ってるからだ~!
真夜中の天然ボケは、あまり気持ちよくは笑えない。