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死亡時刻(在宅医療・看取り)
ある癌末期の方。
家の近くにある内科の医師が担当されていたのであるが、いよいよ通院が困難になりその医師に往診を打診したところ、あまりいい返事が貰えなかったので、やむなく私の診療所に往診依頼となった方である。
病院で「残念ですが、もう、することがありません」などと言われてから私の仕事が始まる。
ほとんどの方は長い闘病生活に疲れ、医療の限界を知った状態で私と出会うのである。 私はそこから、ささやかな希望や喜びの小さな灯火を絶やすことのないように繋いでいく。
「痛みが止まってきたね」「今日はちょっと食べられたね」「昨日よりむくみがましになってるね」・・何だと言われればそれまでのことかもしれないが、事ここに至って医学者としての冷静な分析の眼差しなど、一体何になるというのであろう。
ただそばにいること、その中でできるささやかな事を紡いで行くことしかないではないか。
そのお宅には二匹の犬がいた。
その方は、犬の話を嬉しそうにされていた。あの大きい方は図体がでかいくせして人見知りだ、小さい方は人が好きで・・。
ある日、容態が急激に悪化し、突然、危篤状態になった。苦しそうに動く方を見るに見かねた奥さんから「何とかなりませんか」と電話が入った。
このような状態は長くは続かないが、時として遺された方の辛い記憶となって残るものである。
「眠らせれば動きは止まります。でも、もう意識は戻らなくなりますがいいですか?」
奥さんは迷われた。まだ遠くに住む娘さんが来ていなかったからである。
なんとか意識のあるうちにもう一度会わせたい。
相談の上、鎮静剤の座薬を用いて様子を見ることにした。
それから2時間後、娘さんの到着を待っていたかのように、その方は静かに息を引き取られた。
「先生、娘の顔を見て、笑ったんですよ」
そう、それこそがその方の命を繋いでいたのである。
「診断書に記載しますので、亡くなられた時間を教えて頂けませんか?」
もちろん私が確認した時間を記載していいのであるが、自分達が看取った呼吸停止の時間を気にするご家族もいる。
「えーと・・何時だっけ?」
当たり前のことである。
大切な人との別れに際して時計とにらめっこしている人などいない。眼差しの先にあるのは他ならぬその人なのであるから。
玄関を出て振り返ると、何度かの往診でようやく仲良くなれた人見知りと言われた犬がこちらを見て尻尾を振っていた。
お前ともさよならか。
やっと友だちになれたのになあ。