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体温の話(病院時代)

 耳で温度を測定する体温計が発売された時、医療機器の進歩にちょっと驚いた記憶がある。ところがコロナ禍以降、被験者に触れる事なく瞬時に体温が測定できる非接触体温計が当たり前になってしまった。
 後ろからそーっと近づいて、この体温計で人の体温を無断で測定なんてしたら個人情報保護法違反になるのであろうか。それとも人の体温を勝手に盗んだから窃盗罪? 
 さすればカリオストロ公国のクラリス姫の心を盗んだルパン三世もまた窃盗罪・・って、もともとルパンは国際指名手配の泥棒だろ。

 話を元に戻して、体温は脇の下で測定するものであることは万人の知るところである。子供だって知っている。でも大人になると、もっといろんな所で測れることも知るようになるのである。
 
 朝、病棟の患者さんを回診していると、ある患者さんが「歯科に受診したい」と訴えられた。泌尿器科で入院中に歯の状態が悪くなる事だってあるだろうから「いいですよ」とお返事し、紹介状を書くために症状を詳しくお聞きすることにした。

「虫歯ですか?」とか「歯茎が腫れてきたのですか?」とか、自分が知ってるような口の中の症状についてお尋ねするのであるが、どうもはっきりとした返事が返ってこないのである。
 朝の忙しい時間帯だったのであまりその患者さんにだけ時間を割くこともできず、「後でもう一度伺いますから」とお伝えし、とりあえず他の仕事をこなすことにした。

 詰め所に戻って夜勤の看護師に「○○さん、歯科受診希望らしい」と伝えたところ、その看護師の様子が少々おかしいのである。
「どうした? 何かあったの?」と尋ねると、その看護師から驚くべき事実が語られることになったのである。
 
 歯科受診を希望された患者さんは少々神経質な方で、毎日、何度となく自分の体温を測り、その度に看護師に微熱があるなどの訴えをしていたらしい。忙しい看護師達は体温のちょっとした変化にいちいち長い時間をかけて説明することもできず、また、実際に医師に説明を求めるほどの症状でもなかったため、あえて報告もせずに適当にあしらっていたようであるが、その対応がその方にとっては非常に不安だったようである。

 そこに現れたのが看護学生。現場で看護の仕事を任せてもらえない学生達は、患者さんのそばについて話を聞くのが仕事(勉強)だと言える。
 この方は長い時間をかけて話を聞いてくれる学生達に自分の体温のことを根掘り葉掘り問いただしたのである。

「何故、朝の方が体温が低いのか」
「36.9 度は病的な体温じゃないのか」

 患者さんからの鬼気迫る訴えに、看護学生達は必死になって教科書で調べては応えていたのであるが、ある時、その患者さんは「身体のどの部分の体温が最も正確なのだ」という問いを発したのである。 

 早朝、宿題の答えを考えてきた一番目の看護学生。
「やっぱり直腸温じゃないでしょうか」

その方は枕元に置いてあるマイ体温計を、おそるおそる肛門から挿入して温度を測ったのである。そしてまことに絶妙のタイミングでその方の所に二番目の看護学生。
「体温は舌の下でも測定できます」

 昨夜、看護学生達はいろいろと調べて来たのであろう。患者さんはその必死さに報いようとしたのか、看護学生が何気なく手に取った「直腸に入れたばっかりの体温計」をためらうことなく口の中に・・
 そこでこの方はあっと我に返ったのである。

 はてさて、紹介状に何と書いたものか。忙しい歯科の先生から「くそ食らえ」なんて返事が来たりして・・。

 結果的にこの騒ぎの元をつくって恐縮する看護学生達に一応の注意をするベテラン看護師の顔は思い切り笑っていた。

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